酒船石遺跡(読み)さかふねいしいせき

日本歴史地名大系 「酒船石遺跡」の解説

酒船石遺跡
さかふねいしいせき

[現在地名]明日香村大字岡

七世紀から八世紀にかけて存在した祭祀関係遺構。平成四年(一九九二)、酒船石のある丘陵北斜面で砂岩系石材の切石を積上げた遺構が検出されたため、酒船石を中心に範囲確認調査が実施された。その結果、酒船石のある丘陵の地形に合わせて各段に石積みを行い、砂岩の白石で覆った、「日本書紀」斉明天皇二年条に「宮の東の山に石を累ねて垣とす」とみえるものにあたることが判明した。

石積みは花崗岩の基礎石(根石)の上に天理てんり市の石上いそのかみ山の砂岩を積上げたもので、裏込め部分に版築を施していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「酒船石遺跡」の解説

さかふねいしいせき【酒船石遺跡】


奈良県高市郡明日香村岡にある石造物。飛鳥板蓋宮の伝承地から飛鳥寺跡に向かう途中、東の低丘陵先端部に所在する。江戸時代から文人墨客が訪れ、本居宣長(もとおりのりなが)や上田秋声らは酒あるいは液状のものを製造する石造物として紹介している。1927年(昭和2)に学術的な価値が高いとされ、面積57m2が国の史跡に指定され、2004年(平成16)には範囲を広げて追加指定された。酒船石の主軸はほぼ東西に走り、現存の長さ5.5m、幅(南北)2.3m、厚さ1mで、上面は平滑円形、深さ10cm弱の楕円のくぼみを6ヵ所ほど設けている。1916年(大正5)に、西600mの飛鳥川沿いの水田から大型の石造物が見つかったことなどから、今日では酒などの製造関連施設ではなく、宮殿にともなう導水の仕掛けに関するものと推定されている。酒船石の位置は伝飛鳥板蓋宮跡の宮殿中枢遺構の北方にあたっていることから、宮殿の苑池に関連した観賞用の施設であるとも推測されている。奈良文化財研究所飛鳥資料館では、車石と酒船石を模した石造物を組み合わせた導水施設を復元して野外展示している。近畿日本鉄道橿原線ほか橿原神宮前駅からコミュニティバス「岡天理教前」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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