飛鳥板蓋宮(読み)アスカノイタブキノミヤ

百科事典マイペディアの解説

飛鳥板蓋宮【あすかいたぶきのみや】

皇極・斉明天皇の皇居。大化改新の発端となった蘇我入鹿暗殺はこの宮の正殿を舞台とした。遺称地は奈良県高市郡明日香(あすか)村の岡地区。付近から宮殿跡とみられる敷石遺構や柱根列が発掘されたが,その後の調査でこれらの遺構は飛鳥浄御原宮である可能性が強くなっている。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

あすかいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】

日本古代の皇極朝および斉明朝の宮。蘇我入鹿誅滅事件の舞台となったことで有名。642年(皇極1)9月に造営が開始され,翌年4月に,皇極女帝は東宮南庭の権宮(かりみや)から飛鳥板蓋宮に移った。同年10月,群臣や伴造(とものみやつこ)に,朝堂の庭で饗した記事がみえ,また,645年6月の蘇我入鹿誅滅に際し,飛鳥板蓋宮の12通門を閉じ,大極殿で入鹿を殺害したことになっている。12通門や大極殿の語は,《日本書紀》編者の潤色であろう。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

あすかのいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】

皇極天皇の皇居。655年焼失。伝承地は明日香村岡。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の飛鳥板蓋宮の言及

【飛鳥浄御原宮】より

…しかし岡本田と飛鳥岡本宮を結びつけるのは少し難しいし,田村説では飛鳥岡にふさわしい丘陵がない。近年,有力になりつつある飛鳥浄御原宮比定地は,現在,伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡として,発掘調査が継続されている場所である。出土遺物により,藤原宮直前の宮殿遺構であることが確実である。…

【内裏】より

…このうち内裏の内側の築地には12の門がもうけられ,それぞれ近衛(このえ),兵衛(ひようえ)が守護することになっていた。 このような内裏は,古代のどの都城にもあったはずであるが,平城宮,藤原宮,難波宮,伝飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)などの発掘調査で,その存在が確認されている。このうち,最も詳しくわかっているのは平城宮の場合である。…

※「飛鳥板蓋宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

ミュージックの日

3月19日。1991年、日本音楽家ユニオンが制定。音楽家・ミュージシャンの現状の理解を求め、改善に向けてのPRイベントを行う。日付は「319(ミュージック)」の語呂合わせから。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android