朝日日本歴史人物事典 「長谷川勘兵衛(初代)」の解説
長谷川勘兵衛(初代)
生年:生年不詳
江戸前期,江戸における歌舞伎大道具師の元祖。江戸日本橋の宮大工上谷甚三の子。幼名清五郎。寛永1(1624)年に猿若(中村)勘三郎の猿若(のちの中村)座が江戸中橋南地(中央区日本橋)に建てられたのが,江戸における常設の歌舞伎劇場のはじめである。次いで市村座,森田(のちに守田)座,山村座(江島生島事件で廃絶)の4座が公許されたが,初代勘兵衛は,没年にいたるまで中村座を起点として各座に出入りし,書割や出道具類を請け負って大道具全般を担当する基礎を固めた。初代の子2代目の代の寛文4(1664)年に市村座で引幕が考案され,それまでの放れ狂言にかわって多幕物の続き狂言が誕生し,柴垣や立ち木を含めた道具建てが設けられるようになったという。以来約350年にわたり,代々の勘兵衛によって,家業が継承されている。<参考文献>17代目長谷川勘兵衛編『大道具 長谷川勘兵衛』
(藤波隆之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報