青蓮院旧仮御所(読み)しょうれんいんきゅうかりごしょ

国指定史跡ガイド 「青蓮院旧仮御所」の解説

しょうれんいんきゅうかりごしょ【青蓮院旧仮御所】


京都府京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺院跡。三千院(梶井門跡(もんぜき))、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院とされ、多くの出家した皇族門主(住職)を務めるなど、皇室と深い関わりをもつ寺院である。最澄が比叡山を開くにあたって僧侶の住坊として東塔に造った青蓮坊がその起源であり、平安時代末期、行玄(ぎょうげん)大僧正のときに鳥羽法皇帰依を得て、院御所に準じて殿舎を京都に造り、青蓮院と改称したのが門跡寺院としての始まりである。天台座主(ざす)を務めた第3代門主・慈円のときには隆盛をきわめ、慈円は念仏を中心とする法然や親鸞にも理解を示し、親鸞は9歳のとき慈円のもと青蓮院で得度し、門前の樹齢約800年というクスノキは親鸞お手植えの伝承がある。慈円はまた、歴史書『愚管抄』を記したことでも知られている。応仁の乱でことごとく殿舎を焼失するが、豊臣・徳川氏らによって復興された。1788年(天明8)、天明の大火内裏焼け野原になったとき、青蓮院は後桜町上皇の仮御所となった。このため、その所在地にちなみ粟田(あわた)御所とも呼ばれ、青蓮院旧仮御所として、1942年(昭和17)に国の史跡に指定された。明治時代の火災で大部分の建物を失ったが、四脚門・長屋門は難を免れ、室町時代の相阿弥(そうあみ)作と伝わる池泉回遊式の庭園が残る。そのほかに再建された本堂宸殿、小御所、華頂殿(書院)、叢華殿、好文亭などがある。茶室として使われてきた好文亭は、後桜町上皇が学問所としていた歴史をもつが、1993年(平成5)の過激派の放火によって焼失し、2年後に復元されたもの。平安時代後期の仏画、「青不動」と呼ばれる不動明王二童子像が国宝に指定され、皇族関係の書簡などが多く伝わっている。京都市営地下鉄東西線東山駅から徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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