π電子の理論(読み)パイデンシノリロン

化学辞典 第2版 「π電子の理論」の解説

π電子の理論
パイデンシノリロン
theory of π electrons

π電子を含む化合物の諸性質を,π電子だけに注目して説明する理論.π電子化合物が可視紫外域に固有の電子スペクトルを示し,磁気異方性置換反応の配向性,分子性結晶における半導体性など種々の興味ある性質を示すのは,π電子系の有する特殊性によると考えられる.π電子のエネルギーはσ電子のエネルギーに比べて高く,また非局在化しているため動きやすくなっている.そのため,外からの作用に影響されやすく,一方,σ電子との相互作用は小さいので,π電子だけを抜き出して取り扱う近似(π電子近似という)を用いることができる.π電子の理論はπ電子近似を出発点としている.この場合,σ電子は内殻電子原子核とともに,π電子に対するポテンシャル場を提供するものとする.このような前提のもとでも量子力学的に厳密に扱うことは,実際問題として不可能であるから,種々の近似理論が用いられる.それは原子価結合法(原子軌道法VB法)と分子軌道法(MO法)の二つに大別される.しかし,複雑な分子の取り扱いにはMO法のほうがVB法より容易であるため,近年はもっぱらMO法が用いられ,またその結果,いちじるしい発展をとげた.MO法ではπ電子の非局在性が強調されるが,それをもっとも極端に取り入れた理論は自由電子模型によるものである.これはポテンシャル場を平らなものとして,鎖状分子に対しては一次元の箱型ポテンシャル場を考え,環状共役系に対しては環の周辺にそった環状ポテンシャル場を考え,これらの場のなかをπ電子は自由に運動するとして扱う.この模型はMO法のなかでπ電子の非局在性をもっとも強調し,逆に構成原子の個性を極端に無視している.この模型では,シュレーディンガー方程式は完全に解けるが,定量的な信頼性はない.しかし,定性的な考察に対しては現在も有力な方法の一つになっている.MOを表すのにもっともよく使われるのはLCAO近似である.LCAO-MO法でもっとも簡単な標準的方法に,E. Hückel(ヒュッケル)の方法がある.この特徴は多電子ハミルトニアンを有効な一電子ハミルトニアンで置き換える.そしてクーロン積分共鳴積分を経験的なパラメーターとみなし,実測値を再現するように決める.ヒュッケル法は定量的な信頼性を欠くが,π電子系が複雑になっても容易に適用できる.これにより有機電子論の基礎となる理論体系が確立されている.これと並行して,ヒュッケル法の改良が進められ,MOとして反対称化分子軌道(ASMO)により電子間相互作用を考慮し,さらには自己無どう着場(SCF)の方法を取り入れてMOを決定するなど,いくつかの計算法が提唱され,それぞれ目的に応じて成功をおさめてきた.こうしたなかで,ASMO-SCF法の計算に出てくる原子積分の評価の方法として,一中心クーロン積分に原子価状態イオン化電位電子親和力の実験値を採用する方法が,R. Pariser,R.G. ParrおよびJ.A. Pople(ポープル)によって提唱され(PPP法という),計算結果の信頼性が飛躍的に高められた.この半経験的なPPP法は炭素原子だけでなく,ヘテロ原子を含むπ電子系に対しても多大の成果をおさめ,現在では,MO法の標準的な計算法として広く採用されている.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

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