改訂新版 世界大百科事典 「アトリエナシヨノー」の意味・わかりやすい解説
アトリエ・ナシヨノー
Ateliers Nationaux
第二共和政下のパリで,増大する失業者を救済するために,政府が公共事業省のもとに設置した機関。1848年の二月革命で樹立された臨時政府は,2月25日に〈労働の権利〉を要求する労働者の強硬なデモに直面し,〈すべての市民に労働を保障する〉との法令を出した。これを受けて翌日に出た法令がアトリエ・ナシヨノーの設置を定めるものだった。しかしこれは〈労働の権利〉という基本権の要求に対応しうるものではなく,加入失業者をシャン・ド・マルスの拡張工事,道路工事等の土木事業に従事させるものにすぎなかった。管理官となったE.トーマは,パリの各地区ごとに分かれた部隊に労働者を編成した。この目的は〈同じ職種の労働者間の接触と団結を回避させる〉ことにあったとトーマ自身が述べている。しかし加入者は3月5日の1万4000から5月15日の11万3000へと膨れ上がり,地方からの移入者やストライキ中の労働者も意図的に加入した。当初,日給1.5フランが支給され,次いで仕事がない場合にも1フランが支給され,財政上の負担が問題となった。5月24日に公共事業相のトレラがこの機関の解散を議会の労働委員会に提案,18歳から25歳までの加入者の軍隊への編入,その他は地方に送られてそこの土木局の仕事に従事するものとした。王党派のF.A.deファルーを中心にこの提案は強硬に推進され,6月21日に議会で可決されるに至った。これを契機にパリの労働者は六月蜂起に突入する。
執筆者:喜安 朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報