フランスの歴史家。エコール・ノルマル・シュペリウールに学ぶ。デュルケーム社会学やP.ビダル・ド・ラ・ブラーシュらの人文地理学から強い影響を受け,さらには歴史の総合的把握を主張するH.ベールの影響下に,新しい歴史学の創造へと向かった。《フェリペ2世とフランシュ・コンテ》(1912),《大地と人類の進化》(1922),《フランス・ルネサンスの文明》(1925),《16世紀における無信仰の問題--ラブレーの宗教》(1942),《ミシュレ》(1946)など,相次いで斬新な研究を発表した。1929年には,ストラスブール大学の同僚M.ブロックとともに《社会経済史年報Annales d'histoire économique et sociale》を創刊,〈アナール学派〉の名で知られる新しい歴史学の創始者となった。33年コレージュ・ド・フランス教授に就任,《フランス百科全書》の編纂に尽力し,第2次世界大戦後は48年以来,〈高等学術研究院〉第6部門(社会・経済部門)の責任者となって,人間科学の革新に絶大な貢献を果たした。
執筆者:二宮 宏之
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フランスの歴史家。ナンシーに生まれる。ディジョン大学、ストラスブール大学、コレージュ・ド・フランスの教授を歴任。その研究領域は経済史、社会史から思想史、心性史にまで及んでいるが、事実の考証を中心とした政治史優位の伝統史学を批判し、明確な問題設定による人間活動の総体的把握を提唱した。1929年マルク・ブロックとともに『経済社会史年報』を創刊し、他の人間諸科学との提携による新しい歴史学の建設を目ざした。第二次世界大戦後も47年以降、高等研究院経済・社会科学部門の責任者として学界で指導的役割を果たした。主著として『フェリペ2世とフランシュ・コンテ』(1911)、『大地と人類の進化』(1922)、『ある運命――マルティン・ルター』(1928)、『16世紀における不信仰の問題――ラブレーの宗教』(1942)、歴史論集『歴史のための闘争』(1953)などがある。
[服部春彦]
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…地位も財産もできた中年の男性たちが,酒の上での約束にせよ,サンチアゴへの巡礼に旅立ってゆくということは,エラスムスの誇張ではなく現実にありうることである。L.フェーブルは,中世の人々がこのように定住生活のなかにありながらも,いざとなれば自分が長い年月かけて積みあげてきた財産や地位も投げうって旅に出てしまうという衝動を内に秘めていたことこそ,ルネサンス文化がギリシア・ローマの古代文化の模倣に終わることなく独自の個性を養うことができた条件であった,といっている。たしかに放浪への衝動は無所有への憧憬を秘めている。…
※「フェーブル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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