ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アムラン」の意味・わかりやすい解説
アムラン
Hamelin, Octave
[没]1907.9.8. ユシェ
20世紀前半のフランスを代表する哲学者。高校の哲学教授を歴任後,1884年ボルドー大学教授。 1903年エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) ,05年ソルボンヌ大学講師。 07年長年の研究の成果たる『表象の主要要素についての試論』 Essai sur les éléments principaux de la représentation,および副論文としてのアリストテレス『自然学』第2巻の翻訳と注解とを公刊し,学位論文としてソルボンヌ大学に提出。『試論』は主査 E.ブートルーとの間に激しい論戦を引起した。好敵手 H.ベルクソンが科学批判から直観主義をとったのに対し,古典研究を根底とする観念論に立って表象を唯一の哲学の対象とした。その出発点にあるのは師 C.ルヌービエのカント主義であるが,総合的方法によって表象を体系化したところにその独自性がある。措定は必ずその反対措定の排除のうえに成り立つという事実から,定立,反定立,総合の3契機を関係と名づけ,その弁証法を用いて範疇を必然的連鎖のもとにおいた。関係と数,時間と空間,運動と質,変質と種化,因果性と目的性,そして至高の総合としての人格の 11がその範疇である。人格性を至高の実在,根源的統一とみるその哲学は,真の意味で開かれた創造の哲学であり,弟子のル・センヌのたどった実存哲学に近い。アムランは晩夏の避暑地の海でおぼれかかった2人を救いながら,みずからは死んだ。死後高等師範学校での講義ノートから『デカルトの体系』 (1911) ,『アリストテレスの体系』 (20) ,『ルヌービエの体系』 (27) など『試論』の根底となった研究が公刊された。
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