ネーデルラント貴族。第4代エグモント伯。スペインの対フランス戦争の際、フェリペ2世軍の輝かしい名将としてサン・カンタン(1557)およびグラブリーヌ(1558)におけるスペイン軍の勝利に貢献した。1559年ブラバントおよびアルトアの州総督に任ぜられ、国家諮問委員会のメンバー、ネーデルラントにおけるスペイン軍司令官に列せられた。しかし、スペイン人総督アルバ公の圧政に苦しむネーデルラントのためにこれに抗議、フェリペ2世に直訴に及んだ。カルバン派との協力も辞さないこの抵抗運動のために同志ホールン伯とともに67年9月逮捕され、査問委員会にかけられて翌年6月5日ブリュッセルの大広場で斬罪(ざんざい)に処せられた。同市中央駅に近いプチ・サブロン公園には、ネーデルラント反乱の口火を切ったこの2人の愛国者の立像がある。エグモントのおもかげはゲーテに霊感を与え、もっとも美しい悲劇の一つ『エグモント』(1787)をつくらせ、その「序曲」がいまなお親しまれているベートーベンの作品を生んだ。
なお、エグモント家の歴代当主は、オランダ北部の村エグモントのベネディクト会修道院に埋葬されている。
[磯見辰典]
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1522~68
ネーデルラントのフランデレンの政治家,軍人。フランスの対スペイン戦争(1557~59年)に参加して,フランスを大敗させた。スペインの圧迫が加わると,これに反抗してネーデルラントの独立を図ったが,67年捕えられて処刑された。これがオランダ独立戦争の導火線となる。ゲーテの悲劇『エグモント』の主人公。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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