ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルベール2世」の意味・わかりやすい解説
アルベール2世
アルベールにせい
Albert II
ベルギー国王(在位 1993~ )。レオポルド3世の二男。1953年ベルギー海軍に入隊。1962年から 1993年に即位するまでベルギー貿易振興会名誉会長。また長年にわたりベルギー赤十字総裁や国際オリンピック委員会 IOCの役員を務めた。1959年結婚,3人の子をもうけた。1993年7月の兄ボードアン1世の死去により,同年8月9日第6代ベルギー国王として即位した。オートバイの熱烈な愛好家としても知られ,2003年の即位 10周年祝典では 2万人ものライダーによる記念パレードを指揮した。1993年の憲法改正によってベルギーは連邦制となり,国王の権限もかぎられたものとなったが,フランス語系のワロン地域(→ワロン人)とフラマン語系のフランドル地域の政治的対立が深刻化するなか(→フレミア・ワロニー問題),アルベール2世は国家統一の象徴として重要な役割を担った。2007年から 2008年にかけてベルギー議会が長期にわたり不安定な状態に陥った際には,連立政権の成立に向けて積極的な交渉を行なった。
アルベール2世
アルベールにせい
Albert II, prince de Monaco
モナコ大公(在位 2005~ )。フルネーム Albert Alexandre Louis Pierre de Grimaldi, prince de Monaco, marquis de Baux。レーニエ3世とグレース・ケリーの長男。アメリカ合衆国のアマースト大学で,1981年文学士号を取得し卒業。その後短期間フランス海軍に在籍した。1982年の母の死後モナコ赤十字総裁に就任し,数多くの慈善活動に携わった。熱心なスポーツマンで,1987年にモナコ・ボブスレー・スケルトン連盟を設立,自身もボブスレーの選手として 5度のオリンピック出場を果たした。また国際オリンピック委員会 IOC委員も務め,多くの役職を歴任。1994年にはモナコオリンピック委員会委員長に就任した。2005年レーニエ3世の死去に伴い,同年 7月12日正式に即位。しかしその数日前,アルベール2世が婚外に息子をもうけていたことを公に認めていたため,即位に際してはさまざまな異論があった。
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