インディアン保留地(読み)インディアンほりゅうち

百科事典マイペディア 「インディアン保留地」の意味・わかりやすい解説

インディアン保留地【インディアンほりゅうち】

アメリカ合衆国およびカナダにおいて公的に指定された先住民族居住地。白人による征服戦争の過程で,先住民の居住地を多くは武力,あるいは購入,強制移住などによって奪取し,その一部を限定して与えたものである。合衆国における保留地はIndian reservationと呼ばれ,内務省インディアン局が管轄。1881年には約63万km2であったが,ドーズ法に基づく政策などによってしだいに狭められた。1930年代に歯止めがかかったものの,現在はアラスカを含めて約500ヵ所,計22万km2となっている(同国インディアン人口の22.5%が居住)。うち合衆国本土には278ヵ所があり,南西部,中央北部に多い。カナダの保留地はIndian reserveと呼ばれ,インディアン問題・北方開発省が管轄。全国に2284ヵ所,計2万6000km2。両国ともに国家予算による教育,福祉,年金などのサービスを受け,政府の保護に基づく住民自治がその基本政策となっている。しかし,保留地の多くは農業に適さないうえ産業もない僻地が多く,また採集狩猟などの伝統的な生業を行うことも事実上不可能で,失業率が高い。居住施設や衛生状態も貧弱で,住民の平均寿命は短い。環境汚染核実験による住民の被曝(米国ネバダ州ほか)なども問題となっている。一方で,1960年代の復権運動以来,固有の文化宗教回復や,地下資源を含む土地権,狩猟権などを求める運動も展開されている。→リザーベーションアメリカ・インディアンパン・インディアン運動

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「インディアン保留地」の解説

インディアン保留地(インディアンほりゅうち)
Indian Reservation

アメリカで先住民諸部族の居住地として保留された土地。現在約250の保留地がある。保留地の制度が先住民政策として一般化したのは南北戦争後,大平原地方およびロッキー山脈地方に白人が急速に進出した時期である。アメリカ政府はこれら地方の土地の大半を先住民に放棄させる一方,諸部族の保留地を指定し,彼らを保護下に置いた。政府は1887年のドーズ法により保留地の土地を先住民個人に分与し,農民として自立させ,白人文化に同化させる方針をとったが,これは伝統的部族生活とは異なるものであり,また保留地は概して農業に不適な土地だったから農民としての自立は難しく,先住民の生活は惨めだった。1934年インディアン再組織法により政府はようやく政策を改め,部族による保留地の共同開発を奨励し助成する政策をとった。50年代に保留地を順次廃止する政策が打ち出されたが,まもなく撤回され,60年代以降保留地での部族の自治権限を拡大する政策がとられるようになった。

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世界大百科事典(旧版)内のインディアン保留地の言及

【アメリカ合衆国】より

…その結果,最後のフロンティアはむしろ内陸部となり,州への昇格がもっとも遅れたのは,モルモン教徒が開いたユタの1896年,さらにニューメキシコとアリゾナは1912年で,この3州は砂漠と荒野と山岳が大半を占めている。西部にインディアン保留地が多いのは,インディアンが東部から西部へ追い立てられたこと,住むのに不適当な荒野が保留地に指定されたことなどのためで,この3州にはとくに多い。 20世紀に入ってから,アメリカの人口はしだいに西方へその重心を移している。…

※「インディアン保留地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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