日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィルキンソン」の意味・わかりやすい解説
ウィルキンソン(John Wilkinson)
うぃるきんそん
John Wilkinson
(1728―1808)
イギリスの技術者、鉄工場主。カンバーランド州クリフトンで生まれ、スタッフォードシャーのブラッドリーで没す。父のアイザックIsaac Wilkinson(1695―1784)は製鉄家で、副業として農業を営んでいた。10歳のころランカシャーのブラックバロウに移った父のもとで見習工として働きながら科学的教育を受けた。長じて当時イギリスの鉄工業の中心地であったシュロップシャーに移り、自分の働いていたブラッドリーの工場を買収し、溶鉱炉で木炭のかわりに石炭を用いる溶鉄に成功した。彼が使用したのは原炭で、コークスを用いた作業法は1828年になってから一般に行われるようになる。
1763年、財産を得てシュロップシャーのウィリーに溶鉱炉を借り受け、ここで当時広く用いられていた精錬法に従って鍛鉄を製造した。また1774年に鉄製大砲の鋳造および穴あけ法について特許を取得した。このとき製作した中ぐり盤(1775)はまもなくワットの蒸気機関のシリンダー製造に使用された。ボールトン‐ワット商会で製作された最初の蒸気機関はウィリーのウィルキンソンの工場で運転された。1789年には腔口(こうこう)に旋条(せんじょう)を刻んだ小銃の特許をとり、1790年には鉛管に線条を刻む方法に対し特許をとった。そのほか彼の特許は、圧延法、溶鉄法、精錬法その他各種炉の利用法に及び、亡くなるまで多面的な発明家として活動した。また長さ約100フィート(30メートル)あまりの、世界で初めてとなる本格的な鉄橋をブロズリーの町でセバーン川に架設した。
[中山秀太郎]
ウィルキンソン(Geoffrey Wilkinson)
うぃるきんそん
Geoffrey Wilkinson
(1921―1996)
イギリスの化学者。ウェスト・ヨークシャー州に生まれる。1939年に奨学金を得てロンドン大学のインペリアル・カレッジに入学し1941年に卒業したが、第二次世界大戦のさなかで、軍事研究として核エネルギー開発計画に参加した。1943年にカナダの国立研究評議会に勤務、1950年マサチューセッツ工科大学での研究を経て、1951年ハーバード大学助教授となった。1955年イギリスに戻り、ロンドン大学の無機化学教授となった。1976年にはナイト爵位を受けている。
学究生活の当初は原子核関係の研究についたが、1950年ごろから遷移金属錯体の研究に移行した。金属と水素結合をもった錯体の研究を進め、フェロセンの構造として、環状分子によって金属分子が挟まれたサンドイッチ化合物の概念を提唱するなど、錯体化学の基礎研究およびその応用で大きな成果をあげた。その業績により、1973年にノーベル化学賞を受賞した。同じような研究を行っていたフィッシャーとの同時受賞であった。
[編集部 2018年6月19日]