スウェーデンの天文学者、物理学者。ウプサラで、大学の天文学教授の子として生まれる。数学、実験物理学、天文学を学び、教職につき、1730年には父の後を継いでウプサラ大学天文学教授に就任した。ヨーロッパ各地の天文台を歴訪し、オーロラの観察を続け、地磁気との相関を論じて1733年に発表した。パリでモーペルチュイと知り合い、その指揮する地球子午線測定遠征に参加した(1736)。天文学では、星の明るさの等級を決めることなどに貢献した。もっとも重要な業績は、温度測定の基準の提案(1741年。論文は翌1742年)であって、フランスのクリスティンJean-Pierre Christin(1683―1755)と同時またはそれにやや先だって、氷点と(標準気圧下での)水の沸点との間隔を100分割する温度目盛りを考案し、実用化した。もっとも、当初には氷点を100、沸点を0としていた。のちにリンネその他の人が値を逆転し、それが今日の国際単位系(SI)の組立単位としてのセルシウス度(℃)の起源となった。
[高田誠二]
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スウェーデンの天文学者。ウプサラ大学の天文学教授を父として生まれた。天文学と数学と実験物理学を学んだ後,1725年にウプサラ科学協会の書記となった。30年にウプサラ大学の天文学教授となり,32年から36年までプロイセンやフランス,イタリアなどの諸国を訪ねた。パリではP.M.L.deモーペルチュイと知り合い,ニュートン理論の検証を目的として企てられた北極地方での地球子午線測量の遠征に天文学者として参加した。ウプサラに戻ってからは,星の光度測定や温度計の2定点法の提唱などを行った。後者は現在のセルシウス度の原型となったものである。ただし彼の2定点法は,水の沸点を0,凝固点を100とするものだった。
執筆者:日野川 静枝
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…18世紀ころからは,各地の気温を比較する必要などのため,定量的測定の可能な目盛のある温度計が作られるようになり,氷の融点などを温度の定点とする提案がなされた。G.D.ファーレンハイトは1717年ごろに水銀温度計を製作し,水,氷,食塩を混ぜて得られる温度を0度,氷の融点を32度,体温を96度とする華氏温度目盛を考案し,42年にはA.セルシウスが氷の融点を0度,水の沸点を100度とする摂氏温度目盛(セルシウス度)を導入した。以後,温度計と温度目盛の改良は熱学の発展を促すことになった。…
…ガラス管の中に液体を封入した構造の温度計は,17世紀半ばにイタリアなどで実用化され,ヨーロッパ各地に普及した。18世紀に入ると,G.D.ファーレンハイト,A.セルシウスらによって温度目盛の基準化が進められ,バイメタルを利用した温度計も考案された。19世紀の物理学の進展は,温度の概念に熱力学的および統計力学的な基盤を与えるとともに,電磁気現象や熱放射現象を利用する温度計,すなわち熱電対を利用した熱電温度計,金属や半導体の電気抵抗が温度によって変わることを利用した抵抗温度計,物体からの放射エネルギーの量を測定する放射温度計,輝度を標準の電球と比較して温度を測る光高温計などの発明をもたらし,また,温度測定の統一的な基準となる熱力学温度の単位の構想や,気体液化による低温の利用,電流の熱作用による高温の発生などを可能にした。…
…温度の単位の一つ。ケルビンを単位として測った熱力学温度の値がTKであるとき,t=T-T0(T0=273.15K)で定められる値をその温度のセルシウス温度Celsius temperatureと呼び,セルシウス温度の単位をセルシウス度という。記号は℃。…
※「セルシウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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