経済学の始祖ともいうべきA.スミスは,経済活動において人間はセルフ・インタレストにもとづいて行為するものだ,と考えた。セルフ・インタレストの意味は,元来,自己に関連した事柄への関心ということであるが,それをせまく解釈すると私利私欲ということになる。私利私欲を専一とする人間,これが経済人つまりホモ・エコノミクスの最も一般的な定義である。このような人間観は,J.ベンサム流の功利主義の思想を経由し,さらにはW.S.ジェボンズに代表されるような快楽主義の思想から影響をうけて,物欲の充足を利己的に追求する人間という考え方をうみだした。これが経済人の最も単純な定義である。
所与の欲望体系のもとで満足もしくは効用を最大にするよう行為するという意味において,経済人は合理的であると考えられる。このような合理性が最も簡単に発揮されるのは,効用が量的に測定されうる場合である。ベンサムにあっては,快楽・苦痛の強度,持続性および確実性などといった主観的かつ個人的基準と,年齢,性別および教育などといった客観的かつ社会的基準とを設けて,効用を測定しようとする努力が行われていた。しかし効用の量的な測定可能性は,物欲からの効用を含め,心理学的にみて大きな疑義にさらされざるをえない。したがって経済学者の多くは,効用の実体的内容について議論するのを避けて,選択の形式的秩序についてのみ考察するという方向にむかった。つまり,基数的可測性の前提のうえになりたつものとしての効用関数の概念ではなく,序数的可測性のみを前提したうえでなりたつ選択関数の概念にもとづいて,選択関数の値を最大にするよう行為するのが合理的だとみなすのである。これが経済人の最も現代的な定義である(〈限界効用理論〉の項目参照)。
しかし,効用理論から選択理論への推移は,一方では形式的厳密性という科学の要請を満たしはするが,他方では欲望形成が社会的,文化的および政治的な諸要因にも依存するものであるという点への配慮を欠いている。そのため,近代経済学の方法的特徴である個人主義的もしくは要素論的な性格が強められ,その結果として,そのような方法を採用していない社会諸科学と近代経済学との交流が困難になっている。加えて,たとえば経済政策について議論する場合のように,諸個人の選択結果についてなんらかの価値判断を下そうとすると,選択の合理性をめぐる形式的分析にとどまっていることができず,選択の意味内容についても議論しなければならなくなる。しかし,そうした議論のための新しい準備がない以上,近代経済学は物欲をめぐる快楽の最大化という古い経済人の想定に頼るほかない。要約すれば,このような古い経済人の想定が個人主義と物質主義にもとづく近代経済学の新しい形式的分析を支えているといえよう。
執筆者:西部 邁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自己の経済的利益を極大化することを唯一の行動基準として経済合理的に行動する人間の類型をいう。ホモ・エコノミクスhomo œconoicus(ラテン語)の訳語。古典学派の経済学者が、経済社会の法則を説明する際に、理論の前提として想定した経済社会における一般的人間像である。したがって、当時の経済社会の推進力となっていたブルジョアジーの行動原理を抽象して類型化したものともいえる。古典学派の経済学者は、経済現象の法則性とは経済社会の合理性そのものであると理解し、その合理性の根源は個々の人間が経済活動を行う際の合理性にあると考えた。さらに彼らは、経済法則に従って経済社会が調和的に発展するのは、個々人の「利己的」で合理的な経済活動の自然必然的な結果であると把握した。こうした自由放任主義による経済の調和的発展という考え方は、当時先進国として世界経済を支配していたイギリスのイデオロギーである、と受け止めたドイツ歴史学派の経済学者は、自由放任主義の根底にある経済人の想定そのものを、人間は「利己心」だけで行動するものではない、と批判したのである。しかし、古典学派の経済学者も、人間の本性一般が「利己的」であると考えたわけではなく、経済人というのは、経済理論を構築するために、人間の経済上の行動原理を方法的仮説として構想したものと理解すべきである。個々の経済主体が経済合理的に行動すると想定することは、現代において経済理論を構想する際にも有効性をもつものと考えられる。
[佐々木秀太]
「ホモ・エコノミクス」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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