ハンガリー北部,ドナウ川右岸にある都市。スロバキア国境に接する。ドイツ語でグランGran。人口3万(1993)。すでにローマ時代に城宮ストリゴニウムStrigoniumがあり,マルクス・アウレリウス帝が利用。5世紀の匈奴侵入によりローマの支配が終わった。10世紀中ごろからゲーザGéza(?-997)公が居城を建設,やがてハンガリー王もここを王宮とする。とくに12世紀後半のベーラBéla3世の代に黄金時代を迎え,ローマ風の王宮が完成。この間11世紀初めのイシュトバーン1世のとき,ここに大司教座が置かれた。13世紀中ごろのモンゴル襲来で町が破壊され,その後王宮はブダに移るが,ハンガリーのキリスト教会の総本山の機能はここに残る。しかし1543年からオスマン・トルコ支配下に置かれ(-1683),17世紀には町の大部分は再び破壊される。オスマン・トルコ撤退後バロック風の建物がつくられ,19世紀初めには新古典派の建物もできた。この様式の傑作が今も丘の上にある大聖堂である。今日この大聖堂,中世の王宮,旧大司教座教会跡につくられた博物館は,市の中核の一つをなし,ここから南へ広がるバロック風の市街地,および旧市外の新興の工業地帯が市を構成する。産業としては工作機械,電子工業,金属工業など。歴史的記念物に富み,12~13世紀の王室の備品・装飾や,13~14世紀のイタリア絵画などが特に有名である。
執筆者:南塚 信吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ハンガリー北部の小都市。首都ブダペストの北約50キロメートル、スロバキアとの国境に近いドナウ川右岸に位置する。人口2万9452(2001)。8~9世紀ごろはフランク王国の城塞(じょうさい)で、オステル・リングムOster Ringum(東の砦(とりで))とよばれていた。10世紀ごろマジャール人に攻略され、イシュトバーン1世の即位(1000)によってハンガリー王国最初の首都となる。丘の上にはハンガリー最大の大聖堂があり、同国カトリックの中心となっている。
[古藤田一雄]
…このほか,ユダヤ教会,イスラム教会のほか,仏教も登録されている。このうち,カトリック教会についてみると,総主教座がエステルゴム,エゲル,カロチャにあり,セゲド以下九つの主教座がある。カルバン派は,北と南に教区が分けられ,ルター派は,沿ドナウ,ティサ以東,ドナウ以西,ティサ以西に分けられている。…
※「エステルゴム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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