14世紀中葉のイタリアでもっとも優れた、そして絵画、彫刻、建築などの多方面に活躍した美術家。本名はアンドレア・ディ・チオーネAndrea di Cioneで、その活動期は1344年から1368年とされる。1354~1357年にフィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂ストロッツィ礼拝堂の祭壇画を制作したが、この作品ではジョット以来の自然主義的傾向がある程度放棄され、中世後期のローマやビザンティンの絵画にみるような宗教的雰囲気の濃い表現に立ち返っている。1356年にフィレンツェのオル・サン・ミケーレ聖堂に完成した聖櫃(せいひつ)の制作には数人の助手が協力しており、また装飾過多との批判もあるが、全体の配置にはいささかの破綻(はたん)もみられない。この聖櫃の背面上部を装う浮彫り『聖母の死』と『聖母被昇天』は彼自身の手になることが確実視される。1359年にはオルビエートに赴き、1362年まで滞在して大聖堂正面のモザイクの制作に協力した。フィレンツェに帰ってからは、おりから開始されていた新大聖堂の設計に関与するが、彼の構想が具体的に生かされることはなかった。
オルカーニャの絵画にはジョットおよびシエナ派の画家たちの影響も認められるが、彼独自の雄勁(ゆうけい)な手法が際だてられた諸作品により、その名声は生涯を通じて高かったという。オルビエート大聖堂の『聖母降誕』、ピサのカンポ・サントにある『死の勝利』『最後の審判』がよく知られている。
[濱谷勝也]
イタリアの画家,彫刻家および建築家。彼の兄弟ナルドNardoとヤコポJacopoも美術家。彫刻家としての代表作はオルサンミケーレ教会のタベルナクル(聖龕(せいがん))(1359)で,その背後上部の《聖母被昇天》の浮彫は,ジョットの流れをくむ堅固な彫塑性とシエナ派の影響による装飾性,あるいは優雅でソフトな形態感覚を見せる。この二元性は彼の絵画作品であるフィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会のストロッツィ家の祭壇画(1357)にも顕著で,さらに聖人たちの相貌描写には鋭い写実性が加わっている。1358年主任建築家としてオルビエトに呼ばれ,大聖堂ファサードのモザイク装飾を監督。
執筆者:生田 圓
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