カチンスキ(読み)かちんすき(英語表記)Lech Kaczynski

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カチンスキ」の意味・わかりやすい解説

カチンスキ
かちんすき
Lech Kaczynski
(1949―2010)

ポーランドの政治家。2005年10月、ドイツとロシアという強大な隣国に負けない「強いポーランドにする」と訴えて、ポーランド大統領選に当選した。そのことば通り、遠く離れたアメリカと緊密な関係を結びながら、ロシアに対しては防衛問題で、ドイツに対しては歴史認識の問題で、強い姿勢で臨んだ。

 ワルシャワ生まれ。両親は、第二次世界大戦中にドイツ占領軍に対して市民が立ち上がった「ワルシャワ蜂起(ほうき)」に加わった経歴をもつ。ワルシャワ大学で法律学を学んだ後、グダニスク大学研究員となり労働法を専攻する。やがて労働運動にかかわるようになり、自主管理労組「連帯」のメンバーとなった。共産党第一書記ヤルゼルスキのもとで戒厳令が布告された1980年代初めには、獄中生活も経験した。共産党支配が終わり、1990年に大統領となった「連帯」議長ワレサ右腕として政界入り。その後、ワレサとは袂(たもと)を分かったが、2000年に法相に就任、2002年には「汚職追放」を掲げてワルシャワ市長に当選した。

 モットーは「法と秩序の回復」。一卵性双生児の兄ヤロスワフと一緒に旗揚げした右派政党の名も「法と正義」であった。兄は2006年7月に首相に就任(2007年11月辞任)。二人子供ころに出演した映画『月を盗んだ二人』(1962)は大ヒットし、その後もテレビで再映されたほどである。タカ派的発言が多かったにもかかわらず、国民受けがよかったのは、子役として定着したイメージと無縁ではないようだ。乗っていた政府専用機の墜落事故により死亡

[宮明 敬]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カチンスキ」の意味・わかりやすい解説

カチンスキ
Kaczyński, Lech

[生]1949.6.18. ポーランド,ワルシャワ
[没]2010.4.10. ロシア,スモレンスク
ポーランドの政治家。大統領(在任 2005~10)。双子の兄ヤロスワフ・カチンスキとともにワルシャワ大学に学び,のちにグダニスク大学で法学学位を取得。1980年代初めには兄弟ともにレフ・ワレサ率いる自主管理労働組合「連帯」に参加した。1989年「連帯」が政権を握ると,2人とも政府の要職につき,1990年新党,中道連合を結成。兄弟ともに選挙で下院セイム)議員に当選し,そろって政府の要職を歴任した。2001年に兄弟で新党,法と正義 PiSを設立。外交政策においては民族主義的で強引とみなされ,しばしばヨーロッパ連合 EUと対立するとともに,ポーランドが歴史的に敵対するドイツとロシアを厳しく批判した。国内の根深い汚職問題に厳格な姿勢で臨んだ一方,大衆迎合的な要素もあり,強力な中央政府を標榜しながら減税と堅固な経済保障制度を推進した。2002年ワルシャワ市長に就任。2005年9月の選挙で PiSは下院の第一党になり,連立政権を樹立した。同 2005年10月に大統領に選出され,12月に正式に就任した。翌 2006年,兄を首相に指名し,兄弟政権が誕生。しかし,2007年の選挙で野党に敗れ,兄は首相の座を譲った。EUのリスボン条約批准に際しては中心的な役割を果たした。2010年4月,第2次世界大戦中に多数のポーランド将校が殺害されたカチンの森事件の追悼式典に向かうために搭乗した飛行機が墜落し,死亡した。

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