カラ・ホージョ(読み)からほーじょ(英語表記)Karakhōjo

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カラ・ホージョ」の意味・わかりやすい解説

カラ・ホージョ
からほーじょ / 哈剌和卓
Karakhōjo

中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区トゥルファン盆地に残る都城址(とじょうし)。「荒廃した高昌(こうしょう)」の意。イディクト・シャリIdikut Shariの呼称もある。現在、高昌故城として全国重要文物保護単位に指定されている。この都城沿革は紀元前1世紀の高昌壁(へき)にさかのぼるが、現存する遺構は、トゥルファン盆地の歴史でいう高昌国、唐の西州、西ウイグル国、モンゴル帝国時代に、その首都および主要都城となっていたころのものと推定される。都城は一辺1500~1600メートルの方形で、城壁をもち、外城、内城、宮殿址からなり、高昌国時代は条坊制も施行されていて、中国の都城プランの直接的影響が認められる。しかし遺構の大半を占める寺院址はペルシア風で日干しれんが造りである。20世紀初頭のルコックらの調査によって、仏教のほかマニ教景教(ネストリウス派キリスト教)の寺院址も確認され、壁画などの多様な遺物によって、東西交易路の要衝を占めたオアシス都市の繁栄のさまと高度な文化の一端が明らかとなった。

[白須浄眞]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カラ・ホージョ」の意味・わかりやすい解説

カラ・ホージョ(哈拉和卓)
カラ・ホージョ
Qara Khōjo

中国,シンチヤン (新疆) ウイグル (維吾爾) 自治区にある古代都市の廃虚。「カラ」はウイグル語で「黒」,死せる都であることを示す。「ホージョ」は「コチョ」 Qochoとも写され,「高昌」 Kao-ch`angの転訛である。トゥルファン (吐魯番) の東方にあり,漢代以来ここに漢人が入植し,450年この地の車師国を倒して高昌国を建てた。 640年唐に併合され,790年吐蕃の勢力下に入り,940年のウイグル帝国の崩壊後,ウイグル人が移住して高昌ウイグル王国を建て,982年宋の王延徳の一行がここを訪問した。元代以後廃虚となったが,1904年ル・コックがカラ・ホージョの遺跡を発掘し,マニ教,仏教などの寺院や多量の文書,壁画を発見した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報