デジタル大辞泉
「ルコック」の意味・読み・例文・類語
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ル‐コック
- ( Albert von Le Coq アルベルト=フォン━ ) ドイツの東洋学者。トルファン、クチャ、カラシャール、ハミ方面の調査・発掘を行なったほか、マニ教の文献・絵画などを発見した。著「マニハイカ」「高昌」など。(一八六〇‐一九三〇)
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ル・コック
ドイツの東洋学者,探検家。ベルリンの豪商の子。1900年ベルリン民族博物館の無給職員となり,のち館長となって終生在職。1902年―1914年の間に4回,クチャ,トゥルファンなど東トルキスタンを探検。この天山北道沿いの探検は,南道沿いのA.スタインの業績と並称される。マニ教文献・絵画資料,仏教美術遺跡などの発見により,未知の国東トルキスタンを初めて世に紹介した。著書《中央アジア仏教徒の古代終期》《高昌》《東トルキスタンの土地と住民》など。
→関連項目ショルチュク|トゥムシュク
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ル・コック
Albert von Le Coq
生没年:1860-1930
ドイツの東洋学者。ベルリン生れ。1900年ベルリン民俗博物館無給職員となる。02年以降グリュンウェーデルとともにドイツ・トゥルファン探検隊の主要メンバーとなり,4次(第1次1902-03,第2次1904-05,第3次1905-07,第4次1913-14)にわたってクチャ,トゥルファン地方を探検した。各地の石窟の壁画を多数採取・将来し,《中央アジア仏教徒の古代終期》7巻(1922-33)などで,その紹介を行ったが,壁画の採取に対しては現在,中国側から強く非難されている。
執筆者:長澤 和俊
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ル・コック
るこっく
Albert von Le Coq
(1860―1930)
ドイツの東洋学者、探検家。ベルリンの民族学博物館館長を務め、在任中に没した。初めシリアの調査探検に参加したが、その後、1902年にグリュンウェーデルの第1回のトゥルファン探検に加わり、4~5年の第2回、5~7年の第3回、13~14年の第4回の探検には、自ら隊長となってトゥルファン、クチャ地方の調査を行っている。高昌(こうしょう)国のカラ・ホージョの徹底的な調査を試みているほか、ショルチュック遺跡、キジル千仏洞などの調査を行った。多数の壁画、彫刻、写本類を持ち帰っているが、なかでもマニ教関係の経典、絵画は著名である。著作『マニハイカ』『高昌』『シナ‐トルキスタンの埋もれた財宝』などがある。
[飯島武次]
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ル・コック
Le Coq, Robert
[生]1310頃.モンディディエ
[没]1368. カラホラ
フランスの聖職者。 1351年ラン司教。 56年および 57年の全国三部会で É.マルセルと結び,王権を制限する改革勅令発布のために活躍したが,その意図はナバール (ナバラ) 王シャルル (邪悪王) のためにフランス皇太子シャルル (のちのシャルル5世) を掣肘することにあった。 59年カレーの和約で皇太子とナバール王の和議が成立すると,王国内での活動を禁じられ,ナバール辺境のカラホラ司教区に移された。
ル・コック
Le Coq, Albert von
[生]1860.9.8. ベルリン
[没]1930.4.21. コフマン
ドイツの東洋学者。ベルリンの民俗学博物館に勤めた。 A.グリューンウェーデルのあとをうけて東トルキスタンの調査を行い,1904~05,05~07,13~14年主として天山南路の各地において多くの美術品や古文書を発見した。主著『高昌』 Chotscho (1913) ,『中央アジア仏教的古代末期』 Die buddhistische Spätantike in Mittelasien (7巻,22~33) 。
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ル・コック
Albert August von Le Coq
1860~1930
ドイツの東洋学者。1902~13年,グリュンヴェーデルが組織した4次の中央アジア探検隊の一員(第4次は隊長)としてトゥルファン,クチャなどの古代仏教遺跡を調査。文書,壁画,仏像などをベルリンに運んで展示,報告書を出版した。
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世界大百科事典(旧版)内のルコックの言及
【キジル石窟】より
…窟数236(1973現在)。1906年(グリュンウェーデル)と14年(ル・コック)のドイツ隊の調査で注目され,07年にはペリオが,28年には黄文弼が調査した。53,73年には北京大学を中心とする本格的な調査が行われた。…
【トユク石窟】より
…北方を境する火焰山の一峡谷中にあり,カラ・ホージョ東方に位置する。1898年D.A.クレメンツ,1907年A.グリューンウェーデル,16年M.A.スタインが調査し,A.vonル・コックや大谷探検隊も調査したが,一部が知られるにすぎない。石窟ばかりでなく,断崖の空地を利用して,泥煉瓦による寺院も構築された。…
※「ルコック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」