デジタル大辞泉
「車師」の意味・読み・例文・類語
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しゃし【車師】
- 中国の漢から北魏の時代に、天山山脈東部に存在した国の名。漢の宣帝の時、六国に分かれ、現在のトルファン盆地を車師前国、天山北側を後国が支配した。後国は三世紀頃、前国は五世紀半ば頃滅んだ。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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車師 (しゃし)
Chē shī
古代中国の史書に記録されている西域のアルタイ系と思われる遊牧的民族およびその国名。〈きょし〉ともよばれる。初出は前2世紀末で,当初は姑師の字で表されている。民族としての車師は,当時東部天山山脈の山麓からユルドゥス河谷にかけて分布していたらしいが,既に各地に分立した独立的な国家の形成も進んでおり,8国ほどの名が伝わっている。それらのうちで代表的な強国が,天山南麓トゥルファン(吐魯番)盆地に拠る車師前国と天山北麓のジムサ付近にあった車師後国であった。車師族の位置は,南北の農耕民と遊牧民の接点にあたり,かつ東西交易路上にもあったので,しばしば複雑な外的勢力との争乱に遭遇した。これらの過程で,車師後国は5世紀初めには新興の遊牧勢力柔然に吸収されたようで,以降の車師とはもっぱらトゥルファンの車師前国を示すにいたった。しかしこの国も漢族の西進によってしだいにその領域を縮小され,5世紀中ごろに沮渠氏高昌国によって滅ぼされ史上から姿を消した。
執筆者:堀 直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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車師
しゃし
中国史書に姑師(こし)とも記された西域の国。天山山脈東部の南麓(なんろく)、北麓を占めた。西域の覇権をめぐる漢と匈奴(きょうど)の抗争の接点に位置し、前1世紀には車師前王国、後王国などに分裂した。前王国は都をトゥルファン盆地北西の交河城(ヤールホトに残る交河故城の地)に置き、同盆地の西部を支配したが、450年且渠(そきょ)氏高昌国によって滅ぼされた。後王国は前王国北方の天山山脈北麓の一角を支配していたが、前王国に先だって史上からその名が消えた。
[白須浄眞]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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車師
しゃし
Che-shi; Ch`ê-shih
天山山脈東部に前2世紀から5世紀まであった国。中国,前漢の宣帝が派兵して姑師 (こし) 国を破り,車師前国 (部) ,後国 (部) および山北に分けたのが起源。前国はトゥルファン盆地,後国はジムサ (済木薩) 付近にあった。東西および南北交通の要地のため,中国と遊牧民族の争覇の的となり,中国が支配したときは前国に戊己校尉 (ぼきこうい) をおいた。後国は柔然に滅ぼされたらしく,晋以後車師国は前国を称した。前国の高昌壁 (のち高昌城) は流入した漢人が次第に勢力を増し,前涼以来河西諸国の一郡となり,北涼滅亡後の 450年,その残党は車師国を滅ぼし高昌国を建てた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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車師(しゃし)
Jushi
西域の国名。漢代から北魏時代にかけて天山山脈の東部に存在した。この地は匈奴(きょうど)が西域に向かう門戸にあたり,漢の西域経営にあたって両勢力はこの地をめぐって激しい争いを繰り返した。すでに漢代より車師前王国,車師後王国に分かれ,前者はトゥルファン盆地を,後者は天山東部北麓を支配した。車師後王国は早くも4世紀にはその姿をほとんどみせなくなるが,車師前王国は,交河(こうが)城(ヤール・ホト)を都とし,5世紀半ばまで存続した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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車師
しゃし
前1〜後5世紀に新疆 (しんきよう) (シンチヤン) の天山山脈東部にあったオアシス都市国家で,漢代の西域三十六国の1つ。姑師とも書く
宣帝のとき,トルファン盆地を支配した車師前王国,その北方を支配した車師後王国の2国家に分裂。武帝のとき,両国とも漢に通じたが,後王国はのちに西進してきた柔然に滅ぼされて晋代以後消滅し,前王国も450年滅亡した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の車師の言及
【車師】より
…初出は前2世紀末で,当初は姑師の字で表されている。民族としての車師は,当時東部天山山脈の山麓からユルドゥス河谷にかけて分布していたらしいが,既に各地に分立した独立的な国家の形成も進んでおり,8国ほどの名が伝わっている。それらのうちで代表的な強国が,天山南麓トゥルファン(吐魯番)盆地に拠る車師前国と天山北麓のジムサ付近にあった車師後国であった。…
※「車師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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