シュトックハウゼン(読み)しゅとっくはうぜん(英語表記)Karlheinz Stockhausen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュトックハウゼン」の意味・わかりやすい解説

シュトックハウゼン
しゅとっくはうぜん
Karlheinz Stockhausen
(1928―2007)

ドイツの作曲家、音楽理論家。ケルン近郊メードラートの生まれ。ケルン高等音楽学校およびケルン大学で学んだのち、パリメシアン師事。1953年からケルン放送局の電子音楽スタジオで働き、63年から73年まで同スタジオの所長を務める。1957~74年ダルムシュタット夏期音楽講座の講師。1963年ライブ・エレクトロニック・ミュージックのためのアンサンブル創設、68年まで活動した。1971~77年ケルン高等音楽学校の作曲科教授を務める。彼はミュージック・セリエルと電子音楽を出発点として、次々とその創作領域を拡大させ、電子音楽とミュージック・コンクレートとの結合、音楽への空間性の導入、偶然性の導入による開かれた形式、ライブ・エレクトロニック・ミュージック、演奏者の精神状態のみを指示する「直観音楽」などを発展させて、1950~60年代の前衛音楽の指導的存在となった。

 おもな作品として、次のものがあげられる。10の楽器のための完全セリエリスムによる『コントラプンクテ』(1953)、声と電子音による『若者たちの歌』(1956)、偶然性を取り入れた『ピアノ曲第11番』(1956)、テンポの新しい概念を導入した室内楽曲『ツァイトマーセ』(1956)、三つの管弦楽による「空間音楽」の試みである『グルッペン』(1957)、音楽に空間概念を導入した、四つの管弦楽と四つの合唱団のための『カレ』(1960)、電子音とピアノ、打楽器のための『コンタクテ』(1960)、ソプラノ、4群の合唱、13の楽器による開かれた形式の『モメンテ』(1964)、ライブ・エレクトロニック・ミュージックの『ミクストゥール』(1964)、「直観音楽」の『七つの日より』(1968)、『来るべき時のために』(1970)、『シュテルンクラング』(1971)など。彼の仕事の集大成といえる連作歌劇『光』(1977~2003)の冒頭部分は、日本の国立劇場の委嘱による『歴年――「光」からの場面』(1977)として東京で初演された。作曲理論に関する論文も多い。

[寺田由美子]

『清水穣訳『シュトックハウゼン音楽論集』(1999・現代思潮社)』『Karlheinz Stockhausen, Robin Maconie:Stockhausen on Music;Lectures and Interviews(1990, Marion Boyars)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュトックハウゼン」の意味・わかりやすい解説

シュトックハウゼン
Stockhausen, Karlheinz

[生]1928.8.22. ケルン近郊メトラート
[没]2007.12.5. キュルテン
ドイツの作曲家,音楽理論家。 1947~51年ケルン音楽院とケルン大学で学び,1952年パリに移り,オリビエ・メシアン,ダリウス・ミヨーに師事。ミュジック・コンクレートに興味をもち,1953年ケルン放送局電子音楽スタジオに所属して,電子音楽『習作I』『習作 II』を発表。 1954~56年ボン大学で音声学,情報理論を学ぶ。 1963~77年ケルン放送局芸術監督。 1953年以降,ダルムシュタットの夏期講習で作曲などを教え,1971~77年ケルン音楽院の教授を務めた。ミュジック・セリエル (→セリー ) な技法電子音楽を開拓し,1950~80年代の前衛作曲家に多大な影響を与えた (→現代音楽 ) 。主要作品は,11曲からなる『ピアノ曲』 Klavierstück (1952~56) ,『カレ』 Carré (1959~60) ,連作オペラ『リヒト (光) 』 LICHT (1977~2003) ,『昇天』 KLANG (2005) など。

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