改訂新版 世界大百科事典 「ククテニ文化」の意味・わかりやすい解説
ククテニ文化 (ククテニぶんか)
ドイツの考古学者ヒューバート・シュミットがルーマニアのククテニCucuteni遺跡で彩文土器を発掘したのにちなんでモルダビアの新石器時代と銅器時代の文化をククテニ文化と呼び,エレスド文化ともいう。ウクライナのトリポリエ文化の中期は,このククテニ文化と同じ内容であるので,文化の広がりはトランシルバニアの東麓に沿うセレト川からドニエプル川の中流域にまで及ぶことになる。トリポリエ文化の前期はルーマニアでは先ククテニ文化と呼ばれ,ウクライナと同じ篦で描いた曲線文土器もあるが,多いのは暗灰色の磨研土器である。エレスド遺跡はトランシルバニア山脈の南西に位置し,ククテニ文化の中心からは離れているが,最も精密に調査された遺跡である。赤地に白文様の彩文土器が最下層で出土し,これをククテニA期と呼ぶ。ククテニAB期は曲線文を3色をつかって塗り分けたもので,とくにエレスド式ともいう。後期のククテニB期には,貝殻の粉末を胎土に入れて焼いた土器が,綾杉文で飾られる。ククテニやトリポリエなどの黒海北岸の彩文土器は,エレスド遺跡の位置から考えて,バルカン半島からトランシルバニアを経由して伝わったものとみられる。ククテニ文化の集落は河岸段丘や独立丘の上にあり,間仕切りした長方形の掘立柱建物が密集したものである。一部屋ごとにかまどがあるので,拡大家族が住んでいたものとみられる。集落は深い濠や柵で囲まれているが,これは軍事的なものではなく,家畜を留め置くものである。小麦栽培をおもな生業としているが,内陸では狩猟,河口では漁労の比重も高い。土偶が初期には多量に造られるが,金属器が伝わるころには土偶の祭祀は衰える。この文化は,前5000年ごろから数千年続いたとする考えと,前3000年から1000年間ぐらいとする2説がある。
執筆者:中村 友博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報