アメリカの物理学者。ドイツのイエナ生まれ。第二次世界大戦中、アメリカ空軍の気象担当として働くかたわら、1943年エール大学数学科卒業。戦後、シカゴ大学大学院に通い、1952年に物理学の博士号を取得した。1951年、アメリカの総合電機メーカー、ウエスティングハウスに技術研究者として入社、翌1952年から1976年にかけてマサチューセッツ工科大学(MIT)リンカーン研究所でグループリーダーを務めた。1976年にオックスフォード大学教授に就任、同大学の無機化学研究所長を兼務。1986年からテキサス大学オースティン校教授。
グッドイナフは、MIT時代、デジタルコンピュータの記憶装置内情報の任意読出しメモリー開発に従事し、記憶したデータに自由にアクセスできる「ランダム・アクセス・メモリー(RAM)」を初めて開発した。オックスフォード大学に移った1976年、エクソンにいたエンジニア、スタンリー・ウィッティンガムが、今日広く普及するリチウムイオン電池の先駆けといえる電池を開発していた。しかし、陽極(正極)に二硫化チタン、陰極(負極)に金属リチウムを使ったこの二次電池は、充電を繰り返すうちに、電池内部に結晶ができ、ショートして発火するなど実用化には大きなハードルがあった。材料物理学に詳しいグッドイナフは、陽極の素材として二硫化チタンより、酸化物のほうがエネルギー密度が高く、安定性が増すと予想。東京大学から留学していた水島公一(みずしまこういち)(1941― )と、さまざまな候補物質を探索した結果、1979年に陽極にコバルト酸リチウム、陰極にはそのまま金属リチウムを使うことで、従来の2倍の起電力となる4ボルトの二次電池をつくれることを示した。これによって、電池のパワーや安定性は著しく向上し、実用化に近づいたが、金属リチウムを使っているため危険性は完全に克服されないうえ、オイル・ショックが収まり、石油価格が低下したことで、欧米ではリチウムイオン電池の開発熱は下火になった。この時期に、飛躍的にリチウム電池の安全性を高めたのが、旭化成のエンジニア、吉野彰(あきら)であった。吉野は、陰極に金属リチウムを使わずに、リチウムイオンを蓄える素材として石油コークスという特殊な炭素繊維を使うことを考案。1985年(昭和60)、陰極にこの石油コークス、陽極にコバルト酸リチウムを使うと、飛躍的に安全性が高まり、しかも4ボルトの高電位の電池がつくれることを発表した。今日のリチウムイオン電池の原型を、1991年(平成3)にソニーが世界で初めて商品化した。リチウムイオン電池の開発で、携帯電話、ノートパソコンなどのIT機器は飛躍的に進歩し、地球温暖化の元凶とされる化石燃料を代替するエネルギーとして市場は飛躍的に拡大した。
2001年に日本国際賞、2009年エンリコ・フェルミ賞、2011年アメリカ国家科学賞、2014年チャールズ・スターク・ドレイパー賞などを受賞。2019年、「リチウムイオン電池開発」に貢献したとして、ウィッティンガム、吉野彰とともにノーベル化学賞を受賞した。97歳での受賞はノーベル賞史上最高齢。
[玉村 治 2020年2月17日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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