ブダペスト生れのイギリスの小説家,ジャーナリスト。ウィーン大学に学び,新聞社の通信員として中東を放浪。1931年共産党に入党,スペイン内戦では《ニューズ・クロニクル》の特派員として活躍,フランコ側に捕らえられ,このときの経験から《スペインの遺書》(1937)が生まれた。第2次大戦中もフランスで捕らえられ悲惨な獄中生活を経験,これを描いたのが《人間の屑》(1941)である。一方,38年,スターリンによる政治的裁判が行われているころ離党し,この裁判の被告心理を描いた《真昼の暗黒》(1940)で政治小説家としての地位を確立。48年イギリスに帰化。2冊の自伝《空に放たれた矢》(1952),《見えない書物》(1954)を発表する。このころまでのケストラーは,友人のG.オーウェル同様,時代の証言者として高く評価できる。その後,《夢遊病者》(1959),《創造活動の理論》(1964)などで科学史・科学論の分野に進出,従来の要素還元主義的な科学のパラダイムを厳しく批判(《機械の中の幽霊》(1968)や《還元主義を超えて》(編,1969))。全体子(ホロンholon)という概念を提案して,新しい全体論を唱えるとともに,《偶然の本質》(1972),《サンバガエルの謎》(1973)などで,いわゆるニュー・エージ・サイエンスのきっかけをつくった。その全体論は遺作《ヤヌス》(1978,邦訳《ホロン革命》)に盛られている。83年3月妻とともに安楽死を実践してイギリス安楽死協会会長としての主張を貫いた。
執筆者:鈴木 建三+村上 陽一郎
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イギリスの小説家、ジャーナリスト。ユダヤ系。ブダペスト生まれ。ウィーン大学に在学後、ウルフスタイン社の通信員として近東、パリなどに駐在した。1931年共産党入党。翌1932年訪ソ後ナチスを避けてパリに亡命。スペイン内戦では英紙の特派員として取材中、フランコ側に逮捕され死刑の宣告を受けたが、イギリス政府の尽力で釈放された。このルポルタージュが『スペインの遺書』(1937)である。1938年脱党、1941年来イギリスに住む。モスクワ裁判の高級党員被告が自己否定に至る意識構造を描いた『真昼の暗黒』(1940)で一躍有名となり、『参加と離党』(1943)、『行者と人民委員』(1945)など多くの政治小説を書いた。彼の作品の特徴は、政治的緊張の真っただ中に赴き、その中心的な問題をルポルタージュ風な形で提起する点にある。このほか自伝『空に放たれた矢』(1952)、『見えない書物』(1954)などを発表。『夢遊病者』(1959)あたりから東洋思想にも関心を深めたが、1983年妻とともに安楽死を実践した。
[鈴木建三]
『平田次三郎訳『スペインの遺書』(1974・新泉社)』▽『日高敏隆・長野敬訳『機械の中の幽霊』(1984・ぺりかん社)』
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