ケストラー(読み)けすとらー(英語表記)Arthur Otto Koestler

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケストラー」の意味・わかりやすい解説

ケストラー
けすとらー
Arthur Otto Koestler
(1905―1983)

イギリスの小説家、ジャーナリスト。ユダヤ系。ブダペスト生まれ。ウィーン大学に在学後、ウルフスタイン社の通信員として近東、パリなどに駐在した。1931年共産党入党。翌1932年訪ソ後ナチスを避けてパリに亡命スペイン内戦では英紙の特派員として取材中、フランコ側に逮捕され死刑宣告を受けたが、イギリス政府の尽力釈放された。このルポルタージュが『スペイン遺書』(1937)である。1938年脱党、1941年来イギリスに住む。モスクワ裁判の高級党員被告が自己否定に至る意識構造を描いた『真昼の暗黒』(1940)で一躍有名となり、『参加と離党』(1943)、『行者と人民委員』(1945)など多くの政治小説を書いた。彼の作品の特徴は、政治的緊張の真っただ中に赴き、その中心的な問題をルポルタージュ風な形で提起する点にある。このほか自伝『空に放たれた矢』(1952)、『見えない書物』(1954)などを発表。『夢遊病者』(1959)あたりから東洋思想にも関心を深めたが、1983年妻とともに安楽死を実践した。

[鈴木建三]

『平田次三郎訳『スペインの遺書』(1974・新泉社)』『日高敏隆・長野敬訳『機械の中の幽霊』(1984・ぺりかん社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケストラー」の意味・わかりやすい解説

ケストラー
Koestler, Arthur

[生]1905.9.5. ブダペスト
[没]1983.3.3. ロンドン
ハンガリー生れのイギリスの小説家。ユダヤ系。ウィーン大学に学ぶ。新聞記者としてパレスチナソ連におもむき,やがて共産党に入党。 1937年イギリスの新聞の特派員としてスペインに潜入,フランコ側の捕虜になり死刑の宣告を受けたが,イギリス政府の働きかけで釈放,この体験をルポルタージュ『スペインの遺書』 Spanish Testament (1937) に綴った。 38年共産党を離れ,40年イギリスに亡命して英語で作品を発表。ソ連の全体主義的傾向,政治裁判をきびしく批判した小説『真昼の暗黒』 Darkness at Noon (40) によって有名になった。ほかに,小説『夜の盗賊』 Thieves in the Night (46) ,評論集『ヨガ行者と人民委員』 The Yogi and the Commissar (45) ,自伝がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報