理論物理学者。財界人坂田幹太(さかたみきた)(1879―1958)の長男として東京に生まれる。大阪の甲南中学・高校を経て、1933年(昭和8)京都帝国大学理学部物理学科を卒業し、理化学研究所仁科(にしな)研究室に入り、朝永振一郎(ともながしんいちろう)とともに電子対発生の研究に取り組んだ。1934年に湯川秀樹(ゆかわひでき)に招かれ新設まもない大阪帝国大学へ移り理学部助手、講師を務めた。1939年には湯川とともに京都帝国大学へ戻り講師となった。1942年に名古屋帝国大学へ移り同大学教授、理学部長などを務めた。
1937年にアンダーソンらによって宇宙線中に原子の200倍の質量をもつ粒子が発見されたという報告を聞き、湯川らとともに中間子についての湯川理論(1935)を発展させることに努め、1939年に谷川安孝(たにかわやすたか)(1916―1987)と、中性中間子が非常な短時間で二つあるいは三つのγ(ガンマ)線になることを発表し、さらに1942年には核力を生む湯川(π(パイ))中間子とアンダーソンが発見した(μ(ミュー))中間子とを区別する「二中間子論」を谷川、中村誠太郎(1913―2007)、井上健(1921―2004)とともに発表した。これは第二次世界大戦後各国の実験で証明され、朝日賞、日本学士院恩賜賞を受けた。名古屋大学へ移ってからは、電磁量子力学や朝永らによる「くりこみ理論」に影響を与えた「C中間子(凝集中間子)論」の提唱(1946)をはじめとして、「くりこみ理論」の適用限界についての研究に取り組んだ。1955年(昭和30)にこうした一連の研究成果から素粒子に対する複合模型(坂田模型)を提案し、素粒子論の新たな展開を生み出した。またこの複合模型の誕生には、物質の無限の階層性という自然観が重要な役割を果たした。坂田はこの考えを高校時代に読んだエンゲルスの『自然の弁証法』や理研時代からの友人・協力者である武谷三男(たけたにみつお)との交流から実らせた。
さらにその哲学的立場から、名古屋大学での研究体制の民主化、素粒子論グループの組織化、学術会議「学問と思想の自由委員会」での活動をはじめ、パグウォッシュ会議などの国際的な活動にも精力的に取り組んだ。
[小林武信]
昭和期の物理学者 名古屋大学理学部教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
物理学者。東京の生れ。1933年京都大学物理学科を卒業,湯川秀樹の中間子論の建設に加わった。坂田の中性パイ中間子の研究とミュー粒子を導入した二中間子論は,素粒子の相互関連の解明の重要なステップとなった。42年以後,名古屋大学理学部教授として素粒子論研究室を主宰,唯物弁証法に基づいてつねに研究課題を明確にする研究方法を実践した。場の量子論における発散の困難に取り組んだC中間子論や混合場の理論は朝永振一郎のくりこみ理論に大きな刺激を与えた。55年に提唱された坂田模型(素粒子の複合模型)は,59年に発表された名古屋模型とともに坂田の〈物質の無限の階層性〉という自然観に裏づけられたもので,その後の素粒子物理学の発展の大きな指針となった。素粒子を物質の窮極の構成要素とする当時の支配的な考え方に対し,坂田模型では,中間子族とバリオン族の素粒子は,陽子,中性子,ラムダ粒子およびこれらの反粒子を基本粒子とする複合系であるとした。この模型は,基本粒子間の同質性に着目した小川修三らの三次元ユニタリー対称性理論,さらにクォーク模型の発見へとつながった。坂田は戦後いち早く研究室会議を中心とした研究室運営と,民主主義を原則とする物理学教室憲章の実現に指導的役割を果たすとともに,日本学術会議の基礎科学振興計画や日中学術交流にも大きな足跡を残した。また湯川,朝永と共同して科学者京都会議を開催するなど核兵器廃絶と平和の創造に力を尽くした。
執筆者:沢田 昭二
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…ストレンジネスをもつ粒子,例えばK中間子やΛ粒子,Σ粒子,Ξ粒子などの発見以降は,これらの粒子の分類が重要な課題となった。この種の先駆的なものの中では,1955年日本の坂田昌一(1911‐70)によって提出された坂田模型が有名で,これは陽子(p),中性子(n),Λ粒子を基本粒子として,すべてのハドロン(強い相互作用をする粒子)をそれらの束縛状態としてつくり出そうというものである。p,n,Λ粒子が他の粒子,例えばΣ粒子などに比べて,なぜ,より基本的かという点に関しては,多少不自然さが感じられたが,群SU(3)の導入によって粒子を分類する可能性が生じ,非常な成功をおさめた(SU(3)対称性)。…
…実際,β+崩壊と共存していることが多いが,β+崩壊がエネルギーのつり合いから不可能な場合(陽電子の放出には負のエネルギー状態にある電子を正のエネルギー状態へもち上げねばならないので,少なくとも電子質量の2倍に相当する崩壊エネルギーが必要である)には電子捕獲しか起こらない。歴史的には1935年に湯川秀樹と坂田昌一(1911‐70)によってその存在が理論的に予言され,38年にアメリカのアルバレズLuis Walter Alvarez(1911‐88)が初めて実験的に検証した。放出される粒子が中性微子だけであるので,その検出には電子が捕獲され,あいた空孔へ再び電子が上の軌道から落ちるときに放出される特性X線かオージェ電子の観測によらざるをえない。…
※「坂田昌一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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