日本大百科全書(ニッポニカ) 「コジェーブ」の意味・わかりやすい解説
コジェーブ
こじぇーぶ
Alexandre Kojeve
(1902―1968)
ロシア出身のフランスの哲学者。モスクワ生まれ。ロシア名はアレクサンドル・ウラディミロビッチ・コジェブニコフAleksandr Vladimirovich Kozhevnikov。画家のワシリー・カンディンスキーは叔父にあたる。ロシア革命の勃発した1917年にドイツに亡命、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースの指導を受け、母国の神秘主義的哲学者ソロビヨフをテーマとした研究で学位を取得する。1928年フランスに移住。同じくロシア出身でフッサール門下の哲学者アレクサンドル・コイレと親しく交流し、1933~1939年コイレの後任としてパリ高等研究院でヘーゲルの『精神現象学』の講義を担当する。この講義は、レイモン・クノー、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、ピエール・クロソウスキー、モーリス・メルロ・ポンティ、シモーヌ・ベーユら第二次世界大戦後のフランスを代表する多くの知識人が受講していたことで知られ、とりわけバタイユら「社会学研究会」のメンバーには大きな影響を与えた。またコジェーブは彼らが主宰していた雑誌『哲学研究』Critiqueにもしばしば原稿を寄せ、ハイデッガーやフッサールの書評などを数多く発表した。
コジェーブのヘーゲル解釈は、『精神現象学』の射程をマルクスの『経済学・哲学手稿』やハイデッガーの『存在と時間』のそれと重ね合わせ、「欲望し行動する自由な主体」としての人間観を強調することに大きな特徴があった。人間と動物の決定的な差異を労働と闘争の有無にみいだし、歴史が人間に固有のものであるとする視点は、この人間観に依拠したものであった。またコジェーブは「時間は現存在する概念そのものである」という『精神現象学』のなかの一句に注目、哲学史をプラトンからカントまでの時代とヘーゲル以降の時代に二分する独自の見解を示したが、コジェーブのヘーゲル解釈の代名詞として人口に膾炙(かいしゃ)した「歴史の終わり」はこの見解に由来している。この独自の解釈には、師ヤスパースの実存主義や亡命の体験の影響がしばしば指摘され、またコジェーブもおのれの立場がマルクス主義右派であることを強く自覚していた。
戦後はヨーロッパ共同体の高級官僚となり、ブリュッセルでおもに経済政策の仕事に従事し、同地で生涯を終えた。アメリカに「人間の動物化」を、日本に「スノビズム」をみたエピソードもよく知られている。生涯を通じてまとまった著作は執筆しなかったが、1947年には、高等研究院時代の講義録が受講者の一人であったクノーの手によって編集・刊行されたほか『カント』Kant(1973)、『法の現象学』Esquisse d'une phénoménologie du droit(1981)、『概念・時間・言説』Le concept, le temps et le discours; introduction au systeme du savoir(1990)などの諸著作が死後出版されている。
[暮沢剛巳 2015年5月19日]
『アレクサンドル・コジューヴ著、上妻精・今野雅方訳『ヘーゲル読解入門――「精神現象学」を読む』(1987・国文社)』▽『今村仁司・堅田研一訳『法の現象学』(1996・法政大学出版局)』▽『三宅正純・根田隆平・安川慶治訳『概念・時間・言説――ヘーゲル「知の体系」改訂の試み』(2000・法政大学出版局)』▽『Kant(1973, Gallimard, Paris)』▽『ドミニック・オフレ著、今野雅方訳『評伝アレクサンドル・コジェーヴ――哲学、国家、歴史の終焉』(2001・パピルス)』