コハノフスキ(その他表記)Jan Kochanowski

改訂新版 世界大百科事典 「コハノフスキ」の意味・わかりやすい解説

コハノフスキ
Jan Kochanowski
生没年:1530-84

ポーランド詩人。ミツキエビチ登場以前のポーランド詩壇にあっては,史上最大の詩人と仰がれ,その名声ははるか国外にまで及んだ。ヤギエウォ大学に学び,数次のイタリア遊学を経験,パリに赴いてロンサールらと相知り,豊かな人文学教養を積んで帰国。国王ジグムント・アウグストに仕えた後,自領チャルノラスにあって代表作《ギリシア使節の辞去》(1578),《ダビデ詩編》(1579),《挽歌》(1580)を完成,わけても《挽歌》は愛娘ウルシュラの死によって引き裂かれた老詩人の心の慟哭(どうこく)がよく詩的結晶にまで高められ,中世ポーランド文学を画する抒情詩の名編となった。コハノフスキの文学を特徴づけているのは,理神論的世界観ならびに諦念を基調としたヒューマニズムであって,それらいっさいが達意の簡潔な文体によって定着せしめられている。作品はほかに《フラシキ》(1584),《歌謡集》(1585)などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コハノフスキ」の意味・わかりやすい解説

コハノフスキ
Kochanowski, Jan

[生]1530. シツィーナ
[没]1584.8.22. ルブリン
ポーランドの詩人。 A.ミツケーウィチ以前の同国最大の詩人。 M.レイとともにポーランド文学に黄金時代を築いた。パドバ,パリに学び,イタリア,フランス文学に親しんだ。イタリア滞在中にラテンエレジーエピグラムを書きはじめ,帰国後宮廷に勤めながら『風刺詩集』 Satyr (1564) ,長詩『チェス』 Szachy (66) を書いた。ほかに『ギリシア使節の辞去』 Odprawa posłów greckich (78) ,翻訳『ダビデの詩篇』 Psałterz Dawidów (79) ,『挽歌』 Treny (80) などを通じて,詩を教訓主義から解放し,一層普遍的なものにした。透明な言葉で綴られたその詩は,的確な分節法,安定したリズムをもち,画期的な意味をもつ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コハノフスキ」の意味・わかりやすい解説

コハノフスキ
こはのふすき
Jan Kochanowski
(1530―1584)

ポーランドの詩人。同時代のレイとともにポーランド文学の「黄金時代」を築き、ポーランド・ルネサンス期最大の詩人としてポーランド詩の発展に本質的な影響を与えた。イタリアで学んで多面的な教養を身につけ、帰国後、宮廷に仕える間に歌謡や詩形式の短いストーリー、『チェス』(1564)、『風刺詩集』(1564)を書く。文学に専心してからの作品には、傑作『挽歌(ばんか)』(1580)、『ギリシア使節の辞去』(1578)および『ダビデの詩編』の翻訳(1579)などがある。初期の作品はラテン語で書かれたが、レイとともに文語としてのポーランド語を確立させた。

[吉上昭三]

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百科事典マイペディア 「コハノフスキ」の意味・わかりやすい解説

コハノフスキ

ポーランドの詩人。ラテン語と自国語でおもに抒情詩を書いて,この国にルネサンス文学の輝かしい黄金時代を作りあげ,国民詩の基礎を築いた。ラテン詩以外の代表作は,《風流寸鉄詩》《歌》,娘の死をいたむ《挽歌》,詩劇《ギリシア使節の辞去》。

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