最初期キリスト教の使徒パウロが,53-55年にかけてギリシアのコリント(コリントス)にある教会にあてて,彼のいわゆる第3伝道旅行(《使徒行伝》18:23以下)中に小アジアのエペソ(エフェソス)から書いた手紙群。新約聖書には第1と第2の二つの手紙が収められているが,とくに第2の手紙は複数(おそらく5通)の手紙をのちの編集者がひとつにまとめた可能性が強い。パウロは49-52年にかけての彼のいわゆる第2伝道旅行(《使徒行伝》15:36~18:22)の際に,コリントに教会を設立した(50年ころ)。コリントはギリシア本土とペロポネソス半島をつなぐ幅約6kmの地峡に位置しているために,古来交通の要所として栄え,同時に享楽的な都市としても有名であった。パウロの時代には,ローマ帝国のアカイア州の主都として人口50万を擁する大商業都市であったが,そのような事情を反映してか,教会内での売春婦との交渉や義母との同棲などにみられる性的放縦,偶像への供え物を食することや教会内での異言(一種の宗教的憑依状態において不明瞭な言葉を発する現象)の偏重,また〈すでに霊において復活したのだ〉との主張による混乱などがあり,パウロはそうした諸問題に第1の手紙で対処している。互いに愛し合うべきことを強調する〈愛の賛歌〉(13章)は中でも有名であり,また〈十字架の愚かさこそが実は神の力であり知恵なのだ〉とのことば(1:18以下)は,パウロの信仰理解の中心を形づくっている。第1の手紙の執筆後,おそらくユダヤから来たと思われる他の伝道者たちが来訪して,輝かしく力強い奇跡のわざを誇りうる信仰者のあり方を説いて,そのようなことをなしえないパウロを中傷した。それに対してパウロは,現存の第2の手紙の10~13章に収録されていると考えられるいわゆる〈涙の書簡〉(2:4で言及)の中で,信仰者の真のあり方は,実は苦難を担い続ける〈弱さ〉の中にこそ体現されることを説いた(12:9)。第2の手紙の8章と9章は別々の時期に書かれたエルサレム教会のための〈献金〉の勧めであるが,ユダヤ人以外の異邦人のための使徒としてのパウロが,なおもエルサレム教会のユダヤ人信徒との交わりの確立を求め続けたことが,そこに浮彫にされている。
執筆者:青野 太潮
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…ギリシア語ではパウロスPaulos。
[資料]
新約聖書中に彼の書いたとされる手紙が13収められているが,そのうち確実に彼のものと思われるものは,《ローマ人への手紙》,《コリント人への手紙》(第1,第2),《ガラテヤ人への手紙》,《ピリピ人への手紙》,《テサロニケ人への手紙》(第1),および《ピレモンへの手紙》の合計7である。《使徒行伝》の後半はパウロを中心にして書かれているが,必ずしも客観性を志した叙述ではない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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