改訂新版 世界大百科事典 「パラグアイ戦争」の意味・わかりやすい解説
パラグアイ戦争 (パラグアイせんそう)
アルゼンチン,ブラジル,ウルグアイの三国同盟とパラグアイとの間で1864年11月から70年3月まで続いた戦争。三国同盟戦争ともいう。ウルグアイ内戦に対するブラジルの軍事介入を阻止するため,パラグアイがアルゼンチン国境地帯を通過して出兵し,それが戦争勃発の発端となった。アルゼンチン,ブラジル,ウルグアイは65年5月三国同盟を結び,パラグアイに宣戦布告しF.ソラノ・ロペス政権打倒と,同国との国境紛争に対する戦争協力が約された。パラグアイは3国による領土進駐に対し,成人男子のほか婦女子までが戦闘に加わって抗戦したが,70年3月ロペス大統領が戦死し,甚大な損失を被った後敗北した。この戦争により同国の人口は1865年の50万人余りから半分近くに激減したといわれ,男女人口比率の不均衡(1:4)が長年続いた。戦後処理交渉は難航し,パラグアイ占領は76年まで続いた。ブラジルとはアパ川以南を領有する単独協定を72年に調印,アルゼンチンとは,現在のミシオネス州とチャコ地方南部の同国への帰属を認め,ピルコマヨ川とベルデ川の間の地域領有をアメリカ合衆国大統領の調停にゆだねることで,76年にようやく講和条約を成立させた。アメリカは78年当該地域をパラグアイ領と裁定,最終的に同裁定が受諾された。この戦争はパラグアイの国情に多大な影響を及ぼし,この国の発展を大きく阻害する主因になった。
→ラ・プラタ諸国
執筆者:今井 圭子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報