フランスの作家。豊かな上流階級に生まれ,19歳のとき処女作を執筆中に,自分は栄光に包まれているという異様な確信を得て以後,いかなる文学的動向からも絶縁した地点で,まったく自己流の文学制作に没頭した。文学作品は現実的要素をいささかも含まず,ひたすら想像力の展開において書かれるべきだと確信していた彼は,語の多義性や,綴り字ないし音声上のごくわずかな差異がもたらしうる意味の飛躍的変化などを手がかりにして物語を発展させていくという独自な方法に従って,途方もない時間をかけて,《アフリカの印象》(1909)や《ロクス・ソルス》(1914)などのふしぎな物語を書いた。しかし,ほとんど無視され,また,みずから出資してこの2作を脚色・上演したが,デュシャン,ブルトンら後のシュルレアリストたちに支持されはしたものの,上演それ自体は奇想天外な舞台をめぐる激烈なスキャンダルとして終わった。
生活の面でも奇行が多く,旅行を好みながら特別あつらえのキャンピング・カーのなかでカーテンを下ろしたまま風景を見ずに読書にふけるというふうで,晩年は筆を絶ち,睡眠薬のなかに至福感を求めるほかは,もっぱらチェスに没頭した。彼の小説制作の秘密の一部分は,遺言のようにして残された《いかにして私はある本を書いたか》(1935)に明かされ,またデュシャンやM.レリスのように深い影響をうけた者もあったが,〈挿話におけるシュルレアリスト〉というブルトンの評語にも現れているように,表だった少数の支持者たちの理解も必ずしも核心をつくものではなく,一般的には長い間まったく忘れられていた。しかし,想像力と狂気が境を接し,言語をまぎれもなく〈物〉として扱ったその文学制作は,1950年代からロブ・グリエ,ビュトールら前衛的文学者たちのしだいに注目するところとなり,とくにM.フーコーが精密な作品読解をとおして狂気と言語の関係を探った卓抜な《レーモン・ルーセル》(1963)を発表して以来,重要な問題をはらんだ文学的一ケースとしてさまざまな研究がささげられるようになっている。
執筆者:清水 徹
フランスの作曲家。29歳でパリの音楽学校スコラ・カントルムに入り,ダンディに作曲を学んだ。音楽史的には,彼は,ドビュッシーやラベルと〈六人組〉とをつなぐ位置に立ち,堅固な構成に,インド旋法や対位法的書法,あるいは倚音(非和声音)を巧みに利用した独特な和声語法を旨とする作品を書いた。主要作品には,《第3番》(1930)をはじめとする交響曲4曲,《喚起》(1911)の交響詩,《蜘蛛の饗宴》(1912),《バッコスとアリアドネ》(1930)などのバレエ曲,オペラ・バレエ《パドマーバティ》(1918),管弦楽のための《ヘ長の組曲》(1926),《弦楽四重奏曲》(1932)などの室内楽,《濡れた庭》(1903),《瀬戸に立つ心》(1934)などの歌曲,《詩篇第80編》(1928)などの合唱曲,《時は過ぎてゆく》(1898),《野趣》(1906)などのピアノ曲がある。
執筆者:内野 允子
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フランスの詩人、小説家。パリの裕福なブルジョア家庭に生まれる。初めピアノと作曲を志すが、17歳のときから詩に専心し、一時期「世界的名声」の強迫観念に襲われ、高名な心理学者で医学者ピエール・ジャネの治療を受ける。処女作の長編詩『替玉』(1897)は不評に終わり、うつ病状態に陥る。小説の代表作『アフリカの印象』Impressions d'Afrigue(1910)、『ロクス・ソルス』Locus Solus(1914)を自ら戯曲化、不評とスキャンダルでかえって有名になる。ほかに戯曲『額(ひたい)の星』(1924)、『太陽の埃(ほこり)』(1926)、長編詩『新・アフリカの印象』(1932)など。作品のいくつかは、きわめて特異な手法で書かれ、死後出版の『いかにして私はある種の本を書いたか』でそれを明らかにしている。言語と狂気とのかかわりの極限を示す彼の作品は、シュルレアリスム、ヌーボー・ロマンの一派から高く評価される。
[豊崎光一]
『ミシェル・フーコー著、豊崎光一訳『レーモン・ルーセル』(1975・法政大学出版局)』
フランスの作曲家。トゥールコアン生まれ。初め海軍士官としての生涯を歩み始めたが、1894年、軍職を去り、音楽家となる決心をする。オルガン奏者ジグー、ついでスコラ・カントルムでダンディに師事。1902~14年には母校で教鞭(きょうべん)をとり、門下にバレーズ、サティらがいる。ダンディや印象主義の影響下に作品を書き始めるが、やがて対位法的書法やインドの旋法などを巧みに利用した堅固な形式感と独特のリズム感にあふれた独自の新古典主義的作風を確立した。ロワイヤンに没。主要作品には、オペラ『パドマーバティ』(1918)、バレエ音楽『蜘蛛(くも)の饗宴(きょうえん)』(1912)、同『バッカスとアリアーヌ』(1930)、同『エネアス』(1935)、四曲の交響曲、交響詩『喚起』(1911)、同『春の祭のために』(1920)、管弦楽曲『ヘ調の組曲』(1926)、同『小組曲』(1929)、弦楽オーケストラのための『シンフォニエッタ』(1934)、弦楽四重奏曲ニ長調(1932)、合唱曲『詩篇(しへん)第80編』(1928)などがある。
[寺田兼文]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…彼の音楽は20世紀フランス音楽の最良のモデルの一つとなるにいたる。スコラ・カントルム出身のルーセルは,フランクとドビュッシーの影響を消化した上で,多声性とリズムの積極的主張に重点をおき,堅固な造形に力動感のみなぎる記念碑的な交響曲を残した。なおラベルにもルーセルにもバレエ音楽の秀作がある。…
※「ルーセル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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