日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユダヤ音楽」の意味・わかりやすい解説
ユダヤ音楽
ゆだやおんがく
ユダヤ民族の音楽。その長い歴史的変遷と民族の地理的拡散のなかに主として口伝によって伝承されてきたため、その音楽には多様な様相がみられる。
[田井竜一]
古代ヘブライ期
『旧約聖書』の記述によると、礼拝や祈祷(きとう)に伴う音楽と舞踊、戦いの勝利の音楽などさまざまな音楽が演奏されていたことがうかがえる。楽器では小形シンバル、枠太鼓、リラの類、リード笛、銀製トランペット、角笛(つのぶえ)(ショファール)などの名があげられる。このうち、ショファールは今日のユダヤ教儀式でも使用されている。さらにダビデ・ソロモン時代(前10世紀以後の王政時代)には、神殿において犠牲の奉献と結び付いた盛大な礼拝音楽が演じられた。
[田井竜一]
離散期
紀元70年のエルサレム第二神殿崩壊後、ユダヤ民族は全世界に離散してゆくが、のちに三つのグループが形成されるようになった。その第一はイエメン、イラク、イランなどに居住するオリエント系で、もっとも古いユダヤ音楽の伝統を保っているといわれている。第二はセファルディムとよばれるスペイン・ポルトガル系ユダヤ人で、スペインとアラビア音楽の影響を受けて豊かな音楽文化を発展させた。またヘブライ語とスペイン語との混合言語であるラディーノ語による民謡(『フランスの王様』など)も生まれた。第三はアシュケナジムとよばれるドイツ・ポーランド・ロシア系ユダヤ人で、その音楽はきわめて表現・技巧的な性格をもっている。のちにヘブライ語とドイツ語の混合言語であるイディッシュ語による民謡(『ドナ・ドナ』など)も形成された。
一般に離散期のユダヤ音楽には、古い伝統を受け継ぐ一方、居住地周辺の諸民族の音楽を取り入れそれと融合してゆく傾向がある。また離散期にはユダヤ教会(シナゴーグ)における典礼音楽も体系化され、『旧約聖書』の朗誦(ろうしょう)、詩篇(しへん)唱、祈祷歌、讃歌(さんか)などの唱法が整った。さらに18世紀にはアシュケナジムのなかでユダヤ教神秘主義ハシディズムがおこり、きわめてバイタリティーに富んだ讃歌を生み出したが、やがてそれは母音唱法によることばのない歌ニーグンに発展していく。
[田井竜一]
現代ユダヤ
19世紀末以降シオニズム運動のもとでパレスチナに移住を開始したユダヤ人は、出身地ではぐくんできた豊かな音楽文化を持ち寄った。また1948年のイスラエル建国以後は、現代ヘブライ語によるフォーク・ソング(『マイムマイム』など)も多数生まれている。さらにユダヤ人のアメリカへの移住は20世紀に入って頂点に達したが、やがてポピュラー音楽を中心に、ユダヤ系アメリカ人の音楽家がアメリカのみならず世界の音楽界に広く影響を与えるに至った。その一例として、本来はイディッシュ劇場のための作品であったミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』(シェルドン・ハーニックSheldon Harnick(1924―2023)作詞、ジェリー・ボックJerry Bock(1928―2010)作曲、1964初演)をあげることができる。
[田井竜一]
『水野信男著『ユダヤ民族音楽史』(1980・六興出版)』▽『水野信男著『ユダヤ教の聖歌』(1986・エルサレム宗教文化研究所)』