キリスト教伝統聖歌の東方の雄をビザンティン聖歌とするとき,西方教会を代表するものがグレゴリオ聖歌である。正式にはローマ典礼聖歌と称されるべきであるが,グレゴリウス1世にちなみ,770年ごろからグレゴリオ聖歌と呼ぶ習慣が生じた。大部分はラテン語聖書からなる典礼文を歌詞とし,全音階的な教会旋法にもとづいて歌われる単声聖歌である。そのリズムも,近代音楽における機械的反復拍節感とは無縁のものである。西洋音楽の源泉としての重要性を有するとともに,カトリックのミサ聖祭用(グラドゥアーレ)や聖務日課用(アンティフォナーレ)等の全曲目を包括する聖歌として今日も広く歌われている。
歌で祈ることを学んだのはユダヤのシナゴーグ音楽からであったが,ヘレニズム的音楽文化からも少なからぬ影響を受けたあと,キリスト教が公認された4世紀以来地中海文化圏ではぐくまれたのが聖歌の先史時代とするならば,聖務日課について入念に言及しているベネディクトゥス(6世紀)の登場,ベネディクト会士の中から最初に教皇へ選ばれたグレゴリウスの諸事績,教皇ウィタリアヌス(在位657-672)の手入れなどは,多少の伝説色を交えているものの,聖歌の形成期である。〈古ローマ聖歌〉の研究は,この時代に光をあてつつある。このようなローマと交流をかわしたアルプス北辺地域は,カロリング・ルネサンスと呼ばれる800年ごろの文化隆盛期に聖歌を大きく育てた。これは西方全域へ波及し,ついにはローマさえもこれを採用した。今日知られているグレゴリオ聖歌は,こうしたフランク的源流から最終形態を受けたものである。
ミサ通常唱諸曲の増加,続唱・進句の創作と抑制,ルネサンス期,メディチ版に象徴される衰微などを経たあと,19世紀中葉からソレムの修道院を中心に復興の動きが起こった。それは教皇ピウス10世の教書を転機に,1905-12年バチカン版聖歌集の刊行によって一応の完成をみた。この批判研究は続行されているが完了していない。第2バチカン公会議後に作りかえられたグラドゥアーレも基本的には前版の移しかえである。したがって現在もほとんどは,バチカン版に依拠して歌われているといえる。しかしアンティフォナーレは改訂,プサルテリウム(典礼用ラテン語の《詩篇》)ではカロリング朝前300年をさかのぼりうるアルカイズムさえ示すにいたっている。ともあれ,真の姿を断定するのは困難である。今日生きている同タイプの音楽,ビザンティンやコプトやユダヤの単旋歌も,口伝を第一原則としている。伝統的手法と熟練とによって楽句を連結するのは歌い手の仕事である。作曲家の作品が先に存在したのでなく,歌い手がその正統継承者である。記譜されたものは後年の産物であるとしても,そうした歌い手の用いた最古楽譜からしか推察するてだてはない。こうした古ネウマ記号からロゴスを読み取ろうとする聖歌学セミオロジーの進歩は,この聖歌の真の姿を解明しつつある。
→キリスト教音楽
執筆者:水嶋 良雄
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ローマ・カトリック教会の典礼のための単旋律による聖歌で、中世以来今日に至るまで歌われ続けてきた音楽。その名は、この聖歌を集大成したといわれる教皇グレゴリウス1世(在位590~604)にちなんでつけられているが、その成立に関してははっきりしない点が多い。古代末期から中世初期にかけて、ローマ教会を中心に聖歌が歌われ、徐々に形が整えられていったことは事実だが、そのころ歌われていた聖歌の実態はよくわからない。今日グレゴリオ聖歌の名で知られる聖歌の大部分は、9世紀から10世紀ころにかけて、アルプスの北のガリア・ゲルマン地域で成立したのではないかとする説が有力である。
中世の最盛期にあたる9世紀から13世紀にかけて、それまでの聖歌に加えて、新しい聖歌であるトロープスとセクエンツィアが多数創作されたが、16世紀のトリエント公会議(1545~63)の際、トロープスは全面的に、セクエンツィアは一部を残して禁止された。17、18世紀にはグレゴリオ聖歌の衰退期を迎えたが、19世紀に、フランスのソレム修道院を中心として聖歌復興運動がおこり、それが今日の隆盛につながっている。
各聖歌は、教会の特定の祝日における特定の典礼で使用されるように規定されている。音楽的にみてとくに重要なのは、ミサ典礼で歌われる聖歌で、原則として1年を通じて同じ歌詞を用いる通常文聖歌と、特定の祝日に固有の歌詞を用いる固有文聖歌(変化文聖歌ともいう)とに分かれる。また、聖務日課においても聖歌は重要な役割を果たしている。
グレゴリオ聖歌の旋律は、近代音楽の長調や短調とは異なる、教会旋法とよばれる独特の音組織によって律されている。教会旋法は、それぞれ終止音、属音、音域の違いによって8種類に分かれている。また聖歌は、原則的には楽器による伴奏をもたずにユニゾンで歌われるべきものだが、補助的にオルガンの伴奏が用いられることもある。
聖歌の記譜には、ネウマとよばれる独特の譜法が用いられている。これは、音程の表示に関してはほぼ問題ないが、リズムの表示に関しては解釈に相違がある。各ネウマ符はそれぞれ長短の区別をもつとする説と、それらはすべて等価の長さをもつとする説に大別できるが、現在のカトリック教会は、聖歌復興運動の中心となったソレム修道院の人々が主張する後者の説を採用して、実践している。
[今谷和徳]
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[中世]
西方のキリスト教会がローマを中心にして中央集権的な体制を固めつつあったころ,グレゴリウス1世は,典礼聖歌の集大成とその普及に力を入れ,スコラ・カントルム(歌手の学校の意)の整備拡充を図った。グレゴリオ聖歌(グレゴリウス聖歌)として知られているローマ・カトリック教会の単旋典礼聖歌の体系が,7世紀のローマを中心にでき上がって連綿と伝えられてきたものとは考えがたいし,もしかしたら今日の体系(実質的には16世紀に整えられた)の中軸をなす歌の多くは,アルプス以北の諸地方で何世紀にもわたって作られてきたものかもしれないのだが,グレゴリウス1世の名は,中世以来,西方のキリスト教会の単旋典礼聖歌と結びつけられてきた。 11世紀の末ごろから南フランスで盛んになったトルバドゥールの芸術は,13世紀のイタリアでトロバトーレの活動をうながすことになり,ダンテらもその影響を受けたようであるが,トロバトーレの歌の楽譜は一片も残っていない。…
………この頃,東方教会の慣習にならって,会衆の心が悲しみに沈み,飽き飽きしないようにと,賛歌と詩篇の歌が採り入れられたのである〉と語っている。 今日までグレゴリオ聖歌の名で知られるローマ・カトリック教会の単旋律の典礼聖歌は,これらの東方聖歌が西方の世界に受け入れられながらしだいに変貌していったものである。聖歌の名前は,中世の典礼の整備と布教活動に大きな功績のあった教皇グレゴリウス1世(在位590‐604)にちなんでいるが,歴史的に見れば,およそ12~13世紀まで創作が続けられた。…
…このほかに説教集2種および850通を越える書簡集があり,その旺盛な文筆活動をよく示す。典礼音楽の発展にも尽力し,〈グレゴリオ聖歌〉にその名を残している。【今野 国雄】。…
…即興的に音と音との間を自由に埋めていく装飾法は,声楽,器楽を問わず歴史上広く認められ,定型化された装飾音の生まれ出る母体をなすと考えられる。中世ヨーロッパの教会音楽の根幹をなしていたグレゴリオ聖歌の編曲や変奏のほとんどは装飾的意味をもっていた。またグレゴリオ聖歌自身のメリスマ部分も,単純でシラビックな旋律の装飾されたかたちと考えられている。…
…ローマ式典礼聖歌が確立したあとは,フランク王ピピン3世やカール大帝の政策などにもよって,フランスのガリア聖歌,スペインのモサラベ聖歌などの地方的な諸体系は消滅したが,ミラノ式典礼聖歌だけは,アンブロシウス聖歌の名で今日まで伝えられてきた。今日グレゴリオ聖歌の名で知られているローマ・カトリック教会の単旋律の典礼聖歌は,ルネサンス時代の反宗教改革の波の中で整理されたもので,中世の何世紀ものあいだに創作され改変された歌の集大成であり,地中海沿岸起源の歌よりも,フランク・ゲルマン起源の歌が多いのではないかと考えられている。12~13世紀には,聖書の物語を扱ったラテン語の劇が盛んで,対話が単旋律で歌われたりした。…
…このような多声楽曲の基礎となる旋律を定旋律という。定旋律として用いられる旋律は単旋聖歌(グレゴリオ聖歌)が最も多く,12~13世紀のオルガヌム,13~14世紀のモテットのほとんどが聖歌定旋律に基づいているし,15~16世紀のミサ曲にもこの種の定旋律をもつものが少なくない。聖歌定旋律はまた,16~17世紀の典礼用オルガン曲にも用いられた。…
…デンマークで出土した北欧の青銅器時代の金管楽器〈ルール〉や,ローマの軍楽隊に雇われたゲルマン人の金管楽器奏者についての記録などからも明らかなように,ゲルマン人は地中海沿岸に住むラテン系の農耕民族とは異なった音楽をもっていたものと思われる。ゲルマン人が牧畜と農耕を中心にアルプス以北の諸地域に定着し,キリスト教を受けいれてゲルマン的中世世界を築いていく過程において,まず彼らはラテン的・ローマ的なグレゴリオ聖歌を受容しなければならなかった。ドイツ音楽の原点は,おそらくこの段階におけるゲルマン精神とラテン的キリスト教精神との対決にあるといわねばならない。…
…05年日本司教セルケイラ編纂の典礼書《サカラメンタ提要》は二色刷の音譜を載せ,高度な印刷技術を有していた。
[キリシタン音楽]
教会音楽として入ったヨーロッパ音楽は,1550年代にグレゴリオ聖歌がクリスマス等のミサで歌われた。セミナリヨでは音楽を重視しビオラ,ハープ等の楽器が合奏された。…
…12世紀半ばころからほぼ1世紀にわたって,パリのノートル・ダム大聖堂を中心に栄えた中世ポリフォニー音楽の楽派。それまでのポリフォニー音楽がグレゴリオ聖歌のリズムに準じていたのに対し,長短の音符の組合せによって3拍子を基本とする厳格なリズム体系を確立して音楽史に画期的な革新をもたらした。モーダル・リズムと呼ばれるそのようなリズム体系に基づいて12世紀後半の代表的作曲家レオナンLéonin(レオニヌスLeoninus)はグレゴリオ聖歌を定旋律としてそれに対旋律を付け加えた2声オルガヌムを作曲し,さらに1年を通じておもな祝日で歌われるそのような作品を集大成して《大オルガヌム曲集Magnus Liber Organi》を完成した。…
…なお,これらユダヤ教会歌の様式は,初期キリスト教会に採用され,その聖歌の成立に大きく貢献した。たとえば,グレゴリオ聖歌の詩篇唱が,ユダヤのそれを原型としていることは,西洋音楽史では周知の事実である。6世紀には,スペインのユダヤ人の間で,ビザンティンやアラブの影響下に,韻律的な賛歌(ピュートPiyyut)が生まれ,シナゴーグ音楽に新しいレパートリーを加えた。…
※「グレゴリオ聖歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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