日本大百科全書(ニッポニカ) 「プリエネ」の意味・わかりやすい解説
プリエネ
ぷりえね
Priēnē
トルコ領アナトリア(小アジア)半島西岸の古代ギリシア都市遺跡。メナンデル(メンデレス)川の河口から約13キロメートル上流にある。起源はギリシア人のイオニア植民にさかのぼるが、紀元前350年ごろ都市計画をたてて移設し、人口4000の典型的なヘレニズム都市となった。これが今日の遺跡である(1895~1899発掘)。背面の標高371メートルの山頂テロネイアをアクロポリスとし、それを含む延長2.5キロメートルの壁で取り囲まれた市域は、ミカレー山稜(さんりょう)南斜面をはい上がるように約100メートルの高み(標高130メートル)にまで延びる。舗装街路が直交し、碁盤目のインスラ(街区)が約80ある。中心部にはヘレニズム様式の特色であるストア(列柱廊)や官衙(かんが)で囲まれたアゴラ(広場)、ブーレウテリオン(議堂、約640席)、やや離れて諸神殿・劇場(法廷にも利用された)、南端の低地には城壁沿いにギムナジオン(体育場)やスタディオン(競技場)が遺存する。水道設備もあり、立体的な美しい町であった。碑文も多数出土した。ローマ時代には振るわず、一時回復したが13世紀に荒廃した。
[金澤良樹]