小アジアのイオニア(現,トルコ西岸中央部)に建設された古代ギリシア都市。前7~前6世紀にキンメリア人,リュディア人などによって破壊された旧市の正確な位置は不明。新市は前4世紀中葉にミュカレ山麓に建設された。19世紀末のドイツ隊による発掘で,都市計画に基づく市街のほぼ全容が知られるようになり,プリエネが,ヘレニズム都市の全体像をほぼ完全に伝える遺跡として重要な価値をもつことが判明した。本来の都市は,標高371mのミュカレ山頂をアクロポリスとし,かつては海に面していた南側の麓に約100mの標高差をもって築かれていた。城壁で囲まれた市街は,直角に交差する道路で整然と区画され,中央に市民生活の中心をなす広場(アゴラ)があり,それを市庁舎(プリュタネイオン),会議所(ブレウテリオン),ゼウスの神殿などが取り囲んでいた。この中央部を見下ろす一段と高い所に都市の守護女神アテナの聖域があり,そこに前334年ピュテオスPytheosによって築かれた神殿は,イオニア式の典型的な周柱式神殿として後代に高く評価された。さらに高い所には,約5000人の観客を収容し,2層の高い舞台(ロゲイオン)をもつ劇場が築かれ,反対側の低地には,城壁に沿って体育場(ギュムナシオン)や競技場(スタディオン)が設けられていた。
執筆者:桜井 万里子+中山 典夫
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トルコ領アナトリア(小アジア)半島西岸の古代ギリシア都市遺跡。メナンデル(メンデレス)川の河口から約13キロメートル上流にある。起源はギリシア人のイオニア植民にさかのぼるが、紀元前350年ごろ都市計画をたてて移設し、人口4000の典型的なヘレニズム都市となった。これが今日の遺跡である(1895~1899発掘)。背面の標高371メートルの山頂テロネイアをアクロポリスとし、それを含む延長2.5キロメートルの壁で取り囲まれた市域は、ミカレー山稜(さんりょう)南斜面をはい上がるように約100メートルの高み(標高130メートル)にまで延びる。舗装街路が直交し、碁盤目のインスラ(街区)が約80ある。中心部にはヘレニズム様式の特色であるストア(列柱廊)や官衙(かんが)で囲まれたアゴラ(広場)、ブーレウテリオン(議堂、約640席)、やや離れて諸神殿・劇場(法廷にも利用された)、南端の低地には城壁沿いにギムナジオン(体育場)やスタディオン(競技場)が遺存する。水道設備もあり、立体的な美しい町であった。碑文も多数出土した。ローマ時代には振るわず、一時回復したが13世紀に荒廃した。
[金澤良樹]
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