ドイツの経済学者。後期(新)歴史学派の中心的存在。チュービンゲン大学で学び、ハレ大学、シュトラスブルク大学教授を経て、1882年ベルリン大学教授(~1912)。1873年、A・ワーグナー、L・ブレンターノらと社会政策学会を設立し、指導的役割を演じた(1890年以降会長)。1878年以降『国家学・社会科学研究双書』Staats-und Sozialwissenschaftliche Forschungenの編集に参加し、また1881年、彼を中心に創刊され、後期歴史学派の研究発表機関となった『立法・行政および国民経済のための年報』Jahrbuch für Gesetzgebung, Verwaltung und Volkswirtschaftは、しばしば『シュモラー年報』と通称される。
シュモラーは『19世紀ドイツ小工業の歴史』Zur Geschichte der deutschen Kleingewerbe im 19. Jahrhundert(1870)で名声を確立し、前期(旧)歴史学派の人々同様、経済史の研究を重要視したが、有名なC・メンガーとの方法論争や、M・ウェーバーとの価値判断論争の通俗的解説から印象づけられがちなほど理論を排したり、政策論議における倫理の理論や事実に対する優越性を主張したわけではない。経済学は理論のみを偏重することなく、補助科学としての経済史研究や心理学・倫理学の援助をも求めるべきである、というのが彼の中心的主張であったといってよい。主著は『国民経済学原論』Grundriss der allgemeinen Volkswirtschaftslehre2巻(1900、04)。
[早坂 忠]
『山田伊三郎訳『国民経済学原論』全2巻(1914、16・冨山房)』
ドイツの経済学者。新歴史学派の重鎮。ビュルテンベルクに生まれチュービンゲン大学に学ぶ。最初生地の官吏となるが関税政策を批判して罷免され,1864年ハレ大学の経済学教授になり,シュトラスブルク大学を経て,82年ベルリン大学教授となって1913年まで在職。プロシア政府に重んじられて大学内外で行政上の要職につく一方,1872年社会政策学会を設立・主導し,また《シュモラー年報》(ただし,この名称は後年つけられたもの。1871創刊)ほか数種の定期刊行物を編集してドイツ社会科学界に重きをなした。彼を主導者とする新歴史学派は,倫理的・実践的性格を強く帯びている点で旧歴史学派と区別され,その実践的性格のゆえに講壇社会主義とも呼ばれている(〈歴史学派〉の項参照)。彼は経済学にとどまらず,歴史学,心理学などを含む総合的な社会科学の構築を目ざし,その意図は是とされるべきであるが,理論よりも歴史的・具体的な事実収集が重視され,その総合化は理論ぬきの総合化という色彩が強い。総じて彼にあっては理論と実践,理論と事実との間の境界が不明確であり,そのため前者をめぐってM.ウェーバーとの間に価値判断論争が,後者をめぐってC.メンガーとの間に方法論争が闘わされた。主著《法および国民経済の根本問題》(1875),《国民経済学原論》全2巻(1900-04)。
執筆者:間宮 陽介
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1838~1917
ドイツの経済学者。歴史的研究方法を重視し,また経済学のなかに倫理的観念を導入して社会政策の必要を説き,新歴史学派を樹立した。『シュモラー年報』を創刊し,社会政策学会を創立し,1882年以来ドイツの経済学界を支配した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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