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歴史学派 れきしがくは historische Schule; historical school

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

歴史学派
れきしがくは
historische Schule; historical school

A.スミスに始るイギリス古典派経済学に対抗して,各国経済の歴史性や国民的特殊性を重視する 1840年代頃から 20世紀初頭までのドイツの経済学をいう。 F.リストの著書『国民経済学体系』を先駆けとして W.ロッシャー,B.ヒルデブラント,K.クニースから G.シュモラーにつらなる流れである。

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デジタル大辞泉の解説

れきし‐がくは【歴史学派】

経済学で、19世紀の40年代から20世紀の10年代にかけてドイツに起こり、その主流となった一学派。古典学派の普遍妥当的な抽象性に反対し、経済現象の歴史性や国民的特殊性を重視して歴史的研究の必要性を主張。経済政策においても後進国ドイツを擁護するために保護貿易主義を唱えた。リスト・ロッシャー・クニース・ヒルデブラント・シュモラーブレンターノワグナーなどが代表者。歴史派経済学派

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百科事典マイペディアの解説

歴史学派【れきしがくは】

経済法則の普遍性を否認し経済の歴史的特殊性を主張する,1840年代から20世紀初頭のドイツの経済学派。歴史法学と結び,古典派,のち限界効用学派と対立。F.リストを先駆者とし経済史の記述史的研究を主張した旧歴史学派(ロッシャー,クニース,ヒルデブラントら)と,研究を倫理的共同体論に結びつけ,社会政策による労資対立の解決を説く新歴史学派(シュモラー,L.ブレンターノらの講壇社会主義者)とに分かれる
→関連項目金井延クナップクニースシュモラーヒルデブラントロッシャー

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世界大百科事典 第2版の解説

れきしがくは【歴史学派 historical school】

19世紀の40年代にドイツに成立し,同世紀後半にかけてドイツで隆盛を誇った経済学の一思潮。学説史のうえではA.スミスやD.リカードらの古典派経済学(古典派と略称)に対する批判ないしは反動として位置づけられている。古典派や,また古典派を批判する社会主義が,それぞれ独自の体系を有するのに対して,歴史学派は結局は体系らしきものを生み出さなかった。歴史学派は特定の体系を共有する学派というよりは,むしろ特定の思考方法を共有する学派だという性格をもっている。

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大辞林 第三版の解説

れきしがくは【歴史学派】

一九世紀半ばから二〇世紀の初めにかけて、ドイツを中心におこった経済学の一派。スミスに始まる古典派経済学に対抗して、国民経済の歴史性や特殊性を強調、後進国ドイツを擁護するために保護貿易を唱えた。リスト・ロッシャー・ヒルデブラント・シュモラー・ブレンターノなどが代表。歴史派経済学派。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

歴史学派
れきしがくは
historische Schuleドイツ語
historical school英語
cole historiqueフランス語

A・H・ミュラーや、ことにF・リストを先駆者とし、19世紀40年代から20世紀初頭にかけてドイツで最大の影響力をもった当時のドイツにおける正統的経済学派。後発資本主義国ドイツは、19世紀に入っても、プロイセンフランス戦争(1870~71)の勝利によりプロイセンを中心に(第二)ドイツ帝国が成立するまで、あまたの領邦国家に分裂していて資本主義が育ちにくい状態にあった。ナポレオン戦争中および以後のプロイセンにおけるシュタインハルデンベルクの改革(1807~)や1834年の関税同盟の成立によってようやく資本主義的発展も緒につき始めたが、当時ドイツでは、18世紀末にいち早く独訳されたA・スミス『国富論』(1776)の影響を受け、自由貿易を説く「ドイツ・マンチェスター学派」が力をもっており、その説くところに従う限り、ドイツ市場は先進資本主義国たるイギリスの工業製品の蹂躙(じゅうりん)下に置かれざるをえなかった。国家有機体説や経済学の歴史性・国民性、経済発展段階説などはミュラーやリストによってすでに説かれていたが、その延長線上にたってイギリス古典派経済学の抽象性に反対し、経済現象の歴史性と、したがってその歴史的研究の必要性を強調したのが歴史学派である。1873年の社会政策学会の創設を契機に、それ以前のW・G・ロッシャー、K・G・クニース、B・ヒルデブラントらを代表者とする旧(ないし前期)歴史学派と、それ以後のG・シュモラー、L・ブレンターノ、A・H・ワグナーらを代表者とする新(後期)歴史学派とに通常二分される。[早坂 忠]

旧歴史学派

歴史学派は普通、1843年刊のロッシャーの『歴史的方法による国家経済学講義要綱』に始まるとされ、経済学はイギリスで解されているような致富の学でなく、国ないし民族を単位とする政治経済学でなければならぬと説き、「歴史的ないし生物学的方法」を提唱した同書の序文は、やがて「歴史学派宣言」とみなされるようになった。旧歴史学派の人々も、形はさまざまにせよ経済発展段階説をとる点ではリストを継承しているが、当面のドイツの状況の変化上、リストがもっとも念頭に置いたドイツ国民経済の形成よりむしろ、徐々に台頭しつつあった労働問題のほうに関心を寄せがちだったが、しかしまだ社会政策を説くには至らなかった。[早坂 忠]

新歴史学派

新(後期)歴史学派の人々はほとんどすべて社会政策学会に結集していたので「社会政策学派」ともよばれ、また大学の講壇からかなり社会主義がかった社会政策を説いたので、彼らは資本主義体制の転覆を図るという意味での社会主義には反対だったにもかかわらず、「講壇社会主義派(者)」と(初めは批判的に、しかしほどなく肯定的にも)よばれることも多い。新歴史学派は、各国経済の歴史性や国民性を説く点ではリストの流れをくむ旧歴史学派と同様であるが、ドイツ帝国の統一に伴う資本主義化の急進展に基づく労働問題の深刻化に対応して、国民経済のもつ倫理的性格を強調し、基本的には資本主義体制を承認しつつも、ドイツ資本主義の強化のためにイギリス古典学派の説いた経済的自由主義(通俗化された形では自由放任論)を退け、ある程度まで労働者の生活水準を向上させ労使の対立を緩和するために国家が積極的に社会政策を行う必要があることを強調し、社会政策の経済的・倫理的基礎づけを行おうとした点に、この新歴史学派の最大の特徴がある。旧歴史学派とともに、アメリカの制度学派的思考や19世紀中葉以降のイギリスの一部の経済学者にかなりの影響を与え、また日本社会政策学会の創設(1896)もその直接的影響線上にある。
 歴史学派の経済学者たちは、理論を無意味としたわけではないが、とくにリカード経済学によって表面上ほぼまったく無視された経済現象の歴史性・国民性を重視するあまりに、その面の研究では大きな成果をあげたが、狭義の理論面での貢献は乏しく、1880年代のシュモラーとC・メンガーとの間での激烈な方法論争、20世紀初頭のM・ウェーバーによるシュモラー経済学の倫理的性格批判に始まる価値判断論争、さらにW・ゾンバルトによる多方面からする批判が加わって、歴史学派は20世紀初頭には、学派としては事実上、発展的解消を遂げた。しかし、この学派の歴史的研究や、同学派がウェーバー、ゾンバルト、J・A・シュンペーター、そして一部のイギリスや日本の経済学者に与えた部分的影響は甚大であり、1970年ごろからの抽象的経済学の危機の声の高まりとともに、かなりの期間ほぼ無視されるに近かった新・旧両歴史学派に対する関心がふたたび大きく高まりつつあるのが現状である。[早坂 忠]
『大河内一男編『経済学説全集5 歴史学派の形成と展開』(1956・河出書房) ▽大河内一男著『独逸社会政策思想史』(1936・日本評論社/『大河内一男著作集』1968、1969・青林書院新社) ▽赤羽豊治郎著『ドイツ歴史派経済学研究』(1970・風間書房)』

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世界大百科事典内の歴史学派の言及

【経済学説史】より

…比較生産費説と相互需要説とは,ほとんどそのまま現代の貿易論に取り入れられており,その意味では古典派経済学がわれわれに残した最大の遺産であるといえる。
【古典派批判の経済学】
 古典派経済学が主として先進資本主義国であったイギリスにおいて展開されたのに対して,歴史学派の経済学は19世紀の半ばから主として後発資本主義国であるドイツにおいて,古典派経済学を批判する立場から展開された。前者が自然法思想,啓蒙主義に基づき,抽象的・演繹的方法により普遍妥当的な理論を樹立しようとしたのに対して,後者はロマン主義的な歴史意識の影響下に,具体的・帰納的方法による個別的・特殊的な問題の研究を重視した。…

【経済史学】より

…事実,経済史的な叙述は,経済学と同様,イギリス重商主義の文献やアダム・スミスの《国富論》を起点とする。けれども,経済史学を経済学の理論や政策論から分化した独立の専門科目として確立させたのは,F.リストを始祖とするドイツ歴史学派経済学(とくにG.シュモラー以下の新歴史学派)であり,それは,経済史学がとりわけ後進国の歴史意識にたって,経済現象がもつ歴史性・国民性を強調しつつ成立したことを物語っている。〈二重革命〉(イギリス産業革命とフランス市民革命)に始まる19世紀ヨーロッパ世界のなかで,経済的にも社会的にも後進国であったドイツの現実を背景として台頭した歴史学派経済学は,イギリス古典派経済学の万民的(コスモポリタン)な性格を批判して,たとえば次のように主張した。…

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