1870年代初めから社会改良政策によって社会問題の解決を図ることを主張したドイツの歴史学派経済学者たちの主張をいう。1860年代から70年代初めにかけて、ドイツ資本主義は本格的な発展期に入ったが、それに伴って、一方では旧中産階級、とりわけ都市の手工業者の急速な没落が始まり、他方では労働者の生活はますます窮迫し、社会主義労働運動の発展をみた。ところが経済学界では自由放任主義的な「ドイツ・マンチェスター学派」が支配し、社会問題は放置されたままであった。1872年、歴史学派の経済学者は「社会政策学会」を創立して、一方では自由主義的経済学説を批判し、他方では国家権力による社会改良政策によって社会問題の解決を図ることにより帝政勢力の旧中産階級をその没落から救い、帝政支持勢力を強化すると同時に、社会主義の労働者階級への浸透を防止すべきであると主張した。この主張は、経済生活の自然秩序を信じていた自由主義経済学者からみれば、一種の社会主義に映ったので、大学の講壇に立つ者が唱える社会主義という皮肉を込めて講壇社会主義という蔑称(べっしょう)が与えられた。
講壇社会主義は、ドイツ社会民主党の躍進に脅威を感じたビスマルクの支持を得て、その後急速に経済学界を支配したが、そのなかに三つの分派がみられた。ワーグナーに代表される右派、ブレンターノに代表される左派、シュモラーに代表される中間派である。
[安 世舟]
大学の教壇で講じる社会主義という意。社会政策学会に結集したドイツの経済学者の社会改良の主張をさす。社会問題を重視して経済の自由放任主義を批判すると同時に社会主義運動に反対し,現行国家の社会政策を通じて問題の解決を図ろうとした。労働者保護,中間層の保護育成などを主張し,ドイツ帝国の社会政策に影響を与えた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…シュモラーは開会演説で,社会主義に反対しつつ,同時に資本主義の弊害是正の必要性を力説し,学会の主導的理念は国家の政策を重視する社会改良主義の立場であった。ために自由主義者から〈講壇社会主義者〉と皮肉られ,のちになると学会内部からもマックス・ウェーバーらの批判(いわゆる〈価値判断論争〉)を招くこととなった。学会は,工場法をはじめ,中小企業,農業,関税,交通など当時の重要な社会・経済問題のすべての分野にわたって政策的論議や提案を行い,社会政策の実施にかなりの影響を与えるとともに,実証的な研究を促進した。…
…1871創刊)ほか数種の定期刊行物を編集してドイツ社会科学界に重きをなした。彼を主導者とする新歴史学派は,倫理的・実践的性格を強く帯びている点で旧歴史学派と区別され,その実践的性格のゆえに講壇社会主義とも呼ばれている(〈歴史学派〉の項参照)。彼は経済学にとどまらず,歴史学,心理学などを含む総合的な社会科学の構築を目ざし,その意図は是とされるべきであるが,理論よりも歴史的・具体的な事実収集が重視され,その総合化は理論ぬきの総合化という色彩が強い。…
※「講壇社会主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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