ジュベ(その他表記)Louis Jouvet

改訂新版 世界大百科事典 「ジュベ」の意味・わかりやすい解説

ジュベ
Louis Jouvet
生没年:1887-1951

フランス俳優演出家。その独特なマスク,個性的な演技,斬新な舞台表現により,多くの観客を魅了した。初めは医学を志望したが,やがて芝居に取りつかれて役者になる決意を固める。1911年,コポーの演出した《カラマーゾフの兄弟》で長老ゾシマを演じて注目され,13年,この高名な演出家が設立したビュー・コロンビエ座に参加する。理論家コポーにとって,実際の舞台で鍛え抜かれたジュベの実践能力はきわめて貴重であった。22年,彼はコポーと別れ,コメディ・デ・シャンゼリゼ本拠に独自の活動を開始,翌年の《クノック》(J. ロマン作)で大当りを取った。26年,彼とデュラン,ピトエフ,バティの間に〈カルテル〉が結ばれ,演劇の商業化に対抗する協定が成立する。34年,ジュベはアテネ座に移り,28年から始まった劇作家ジロードゥーとの協力がさらに緊密化する。時代の不安を幻想的に劇化したジロードゥー=ジュベの舞台は,30年代フランス演劇の象徴であると同時に,戦後演劇の多様な開花を予告する動きでもあった。ジロードゥーの遺作《シャイヨの狂女》(1945)はジュベの最後の輝きであったが,51年夏,グレアムグリーンの《権力栄光》の演出中に惜しくも急死した。映画俳優としても《舞踏会手帖》などで著名
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百科事典マイペディア 「ジュベ」の意味・わかりやすい解説

ジュベ

フランスの俳優,演出家。ビュー・コロンビエ座創設に参加し,コポー助手を務めたのち1922年独立,ジュール・ロマンの《クノック》で成功を収めた。劇作家ジロドゥーとの提携は有名。映画出演も多い。
→関連項目バティ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジュベ」の意味・わかりやすい解説

ジュベ
Jouvet, Louis

[生]1887.12.24. フィニステール,クロゾン
[没]1951.8.16. パリ
フランスの演出家,俳優。パリで薬学を学んだのち,1910年に J.コポー演出の『カラマーゾフの兄弟』に出演,13年ビュー=コロンビエ座に舞台監督として参加,第1次世界大戦中のアメリカ巡業後,同座で俳優としても認められた。その後コメディ・デ・シャンゼリゼ座に移って独立し,『クノック』『お月様のジャン』などで大当りをとる。 28年『ジークフリート』の初演によってジロドゥと親交を結び,34年アテネ座に移ってからも主としてジロドゥ劇を上演。『北ホテル』『旅路の果て』など映画でも名演を残し,晩年にはジュネやサルトルの作品も手がけた。

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世界大百科事典(旧版)内のジュベの言及

【フランス演劇】より


【20世紀】
 20世紀フランス演劇をその変革の相においてとらえれば,大別して三つの時期を認めることができる。第1は,1913年,J.コポーによる〈ビユー・コロンビエ座〉創設から,両大戦間におけるL.ジュベ,C.デュラン,G.ピトエフ,G.バティの4人の演出家による〈カルテル四人組〉の時代,第2は,J.L.バローによるカルテルの遺産の発展と並行して50年代に起きる三つの事件,すなわちJ.ビラールによる〈民衆演劇運動〉と〈演劇の地方分化〉の成功,E.イヨネスコ,S.ベケット,A.アダモフ,J.ジュネらの〈50年代不条理劇〉の出現,そして〈ブレヒト革命〉であり,第3の時期は,68年のいわゆる〈五月革命〉によって一挙に顕在化した社会的・文化的危機の中で,演劇が体験した一連の大きな〈異議申立て〉(A.アルトーの徴の下に広がった〈肉体の演劇〉を中核とする)とその結果である。
[演出家の時代――コポーと〈カルテル四人組〉]
 演出家で集団の指導者をフランス語でアニマトゥールanimateurと呼び,20世紀を〈アニマトゥールの世紀〉と称するが,コポーはアニマトゥールの枠組みそのものを提示した人物である。…

※「ジュベ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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