ジョルダン(読み)じょるだん(英語表記)Camille Jordan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジョルダン」の意味・わかりやすい解説

ジョルダン(Camille Jordan)
じょるだん
Camille Jordan
(1838―1922)

フランスの数学者。リヨンの生まれ。母方伯父に画家ピュビス・ド・シャバンヌがいる。1855年理工科大学校(エコール・ポリテクニク)に入学。卒業後技師として働き、1867年パリにきて研究生活に入り、1876年に母校教授となり、1883年コレージュ・ド・フランスの教授。1881年にはパリの科学アカデミー会員に選ばれた。

 業績は多岐にわたるが、とくに五次の代数方程式の代数的解法において、アーベルが提示した二つの問題、つまり、(1)次数が与えられた方程式のなかで代数的に解けるものを求める、(2)与えられた方程式が代数的に解けるかどうかを決定する、を取り上げ、アーベルが完成しえなかった点を修正し、完全に解決した。このことは著書置換論』(1870)に出ている。また、『解析学講義』(1893)を著し、このなかで、「連続な曲面平面を二つの部分に分ける」と述べ証明している(ジョルダンの曲線定理)。この証明は「長さをもつ」ことを前提としていたが、これが当時の数学者に刺激を与え、「長さをもつ」ことを前提としない証明が企てられた。二次形式に関する研究にも大きな業績を残している。

小堀 憲]


ジョルダン(David Starr Jordan)
じょるだん
David Starr Jordan
(1851―1931)

アメリカの生物学者、教育者。ニューヨーク州ゲインズビルの生まれ。コーネル大学、インディアナ医科大学に学び、インディアナ大学動物学教授、同学長を経て、スタンフォード大学初代総長(1891~1913)を務めた。日本を訪れること前後3回、太平洋周辺水域の魚類の研究に従い、日本の魚類学発展に指導的影響を与えた。親日家で、アユの味を高く評価したことも有名。野球を好み、コーネル大学在学中は選手としてプレーし、3打席連続でホームランを打ったことが終生の自慢話であった。また、世界平和財団の理事長として、母国の第一次世界大戦への参加に強く反対するなど平和運動にも挺身(ていしん)した。魚学、平和論など著作は50余点に及ぶ。

[日比谷京]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョルダン」の意味・わかりやすい解説

ジョルダン
Jordan, Camille

[生]1838.1.5. リヨン
[没]1922.1.20. ミラノ
フランスの数学者。 1855年エコール・ポリテクニクに入学,73年まで技術者の仕事につく。 73年から 1912年に退職するまで,エコール・ポリテクニクとコレージュ・ド・フランスで教える。 1881年科学アカデミー会員に選ばれる。業績の第1は,ガロアの理論の重要性を最初に世に知らせたことで,『置換と代数方程式』 (1870) は,ガロアの研究した置換群とそれの代数方程式への応用を包括的に扱ったものである。もう1つの重要な業績は,その講義と研究をまとめた『解析学教程』 (3巻) の出版で,この本は長期間にわたって広範囲の人々に標準的テキストとして読まれた。彼はまた 87年に「単純閉曲線は平面を2つの部分に分ける」ことを証明,20世紀のトポロジーの発展にも貢献した。この定理は,直観的には自明にみえるが,証明はかなり複雑である。

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