スウェーデン史(読み)スウェーデンし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スウェーデン史」の意味・わかりやすい解説

スウェーデン史
スウェーデンし

スウェーデンの歴史はすでに前1世紀にタキツスがスウィオネス (スビオン人) としてスウェーデン人について述べている。その住民は最も古いゲルマン語派の言語を話す種族の一つである。6世紀以降スウェーデン中部のスベーア族のインリング朝とともに諸部族連合の統一が進み,8世紀中葉スコネを含むスウェーデン王国が形成された。9~11世紀なかばはバイキング時代であって,スウェーデン人は東方に向けて大発展をとげた。彼らは,フィンランド,バルト海東岸を経てさらに東進し,スラブ人によってバリャーグ人と呼ばれ,ビザンチン帝国にまで進出し,9世紀後半バリャーグ人のリューリクはノブゴロド公国を建設した。この時期はまたキリスト教の広まった時期であり,12世紀に入ると大司教区が設定され,東方十字軍の名のもとにフィンランド,エストニア征服が行われた。 12~13世紀には貴族勢力の台頭によって王権 (→フォルクング王家 ) が衰微し,ノルウェー王による同君連合,さらに 14世紀にはカルマル同盟 (1397~1523) のもとにデンマークに支配された。 15世紀後半以降デンマーク王の統治に反抗して事実上独立し,1523年には貴族グスタフ・バーサ (グスタフ1世 ) が正式に国王として即位し,スウェーデンの独立と近代的発展が開始された。同王は絶対君主として富国強兵政策を強行し,M.ルターの宗教改革を受入れてローマ教皇庁との関係を断ち国教会制度を確立した。 17世紀には,グスタフ2世アドルフが宰相 A.オクセンシェルナの協力で国内体制の強化,重商主義政策による鉱工業,貿易の奨励学芸の保護を行い,さらに三十年戦争に介入して連勝し,バルト帝国を建設した。続いて,クリスティナ女王,カルル 10世グスタフの治下,王国の最盛期を経て,カルル 12世のときロシアのピョートル1世 (大帝) に敗れ (→北方戦争 ) ,バルト東岸を失い,18世紀にはいわゆる「自由の時代」を迎えて,王権は非常に衰えた。ナポレオン戦争中スウェーデンはフランスの将軍ベルナドットをカルル 14世として王位に迎え,この王家が現代に及んでいる。 19世紀中頃から近代化が始り,議会制と立憲君主制を採用,産業革命が進行して資本主義的繁栄の道を歩んだ。2度世界大戦中立を守り,1906年結成された改良主義的な社会民主党の長期政権のもとで,世界有数の社会福祉制度が行われている。 46年国際連合に加入。 95年ヨーロッパ連合 EUに加盟し,伝統的な中立政策を転換した。

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