改訂新版 世界大百科事典 「スラムクリアランス」の意味・わかりやすい解説
スラム・クリアランス
slum clearance
不良住宅が密集し住宅の老朽化が極限に達したため,スクラップ・アンド・ビルド以外の手段では地区の再生が期待できない地区において,公共団体が事業主体となって,土地を買収し,不良住宅を除却,整地後,公共賃貸住宅を建設し,地区内の貧困層を低家賃で居住させる一連の事業をスラム・クリアランスという。
住宅は土地に固定して供給され,現場生産を条件づけられるため,マスプロ,マスセールに向かず,住宅の市場は概して小さく分割されている。したがって,ある地域で需要が急増しても,供給は容易に追いつけない。また住宅は道路,上下水道,公園などのいわゆる住環境施設と一体となってはじめて居住機能が発揮されるが,これら施設は社会的費用であるため,住宅の取引の際,価格要素から抜け落ちやすい。このように住宅には価格メカニズムが正常に作用せず,その結果として住宅の地域的不足(量の問題),環境悪化地区の形成(質の問題)という住宅問題が必然的に発生する。
住宅問題の発生とスラム化
この住宅問題が歴史的に最も早く現れたのはイギリスであった。イギリスは,世界最初に産業革命をすすめ,多くの新興工業都市を生み出した。工業都市には職を求める大量の産業予備軍が農村から流入したため,例外なく住宅の地域的不足現象が現れた。労働者は低賃金かつ無権利状態で酷使され,再生産のために十全の住宅を購入することができず,また社会的費用の負担に耐えないため,低質住宅,貧困環境が一般的であった。これら住宅地は,不況期には失業者があふれ,スラムに転化していった。
スラム問題は地区内貧民の問題にとどまっているかぎり,いつまでも放置されたが,周辺地域に影響が出はじめるとともに社会問題として取りあげられるようになった。直接の動機は1840年代に入ってコレラの流行が頻発したことである。51年シャフツベリー法による労働者のモデル住宅の公的供給,68年トーレンズ法による賃貸住宅の適正管理の義務づけ,75年の公衆衛生法改正による不良建築の法的規制の導入,同じ75年クロス法による不良住宅密集地区の取壊しと再建築の制度化が実施された。トーレンズ法からクロス法に至る過程では,住宅の各戸改善か集団改善かが住宅政策の大きな論点になったが,結局は後者の考え方が支配的となり,90年に至り,クロス法を軸とした労働者住宅法が公布され,冒頭に定義した内容の政策原型が確立した。この制度はやがて欧米各国に波及した。日本もイギリスに範をとり,1927年不良住宅地区改良法を制定し,第2次大戦前東京ほか四大都市の7典型不良住宅地区を対象に約4000戸の改良住宅を建設している。
スラム・クリアランスは巨額の公共投資を要するので,スラムの除去が資本主義的な都市発展の障害を取り除くうえで大きなプラスになる地区でないと適用されないこと,スラムの発生は貧困問題と不可分に結びついているが,事業を空間整備対策に限定し,社会福祉対策を伴わないため,再スラム化,またはスラムの移動に終わりやすいこと,の2点が根本的な問題としてつきまとっている。このような事業の限界性に加え,スラムの存在形態自体が変質したこともあって,戦後の事業展開はかなり変容してきている。
インプルーブメント方式
戦後の先進資本主義国では,この事業をめぐって二つの問題がクローズアップしてきている。第1は住宅問題は戦前のように労働者階層固有の問題ではなくなり,各階層に波及したこと,第2は人口と資本の都市集中が一段と激化するなか,土地利用の混合化,過密化,公害多発などにより問題地区が多様化したことである。したがって政策対応も,スラム的地区(住宅不良化が極限に達した地区)よりもブライトblight的地区(住宅不良化進行地区)に重点を移すとともに,従来の〈クリアランス方式〉に替えて,住民は居住を継続しつつ住宅の改善,立地基盤の修復をはかっていく〈インプルーブメントimprovement方式〉が今日では主流になってきている。日本では1960年,戦前の法律を根本改正した住宅地区改良法が公布され,同和地区の住宅環境の改善などに成果をあげてきたが,この法律は今日の大都市にまんえんしているブライト型の地区の対策に不向きなため,より総合的な居住地改善の法体系の整備が求められている。
→都市再開発
執筆者:住田 昌二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報