インドネシア中部,小スンダ列島中央部の島。ロンボク島とフロレス島に挟まれる。面積1万3980km2。人口約41万。主都は東部のラバ。東西に細長く延びる。海岸線の出入りがきわめて複雑で,ことに東部にはサレー,サンガル,ビマなどの湾入と,それに伴う小半島の突出がある。内陸部諸所に新期の火山が噴出する。北岸中央の最高峰タンボラ火山(2850m)はかつては標高4000mを超えていたが,1815年の大爆発(有史以来,世界屈指の爆発として知られる。死者5万)で現在の高さになった。平地は少ないが土壌は肥沃で,トウモロコシ,綿花,タバコ,米,白檀木などを産する。小型の馬の飼育も盛んである。
執筆者:別技 篤彦
島はかつて東部のビマ,ドンプーと西のスンバワの3土侯国に分かれていたが,住民は文化的に東西に二分される。住民はいずれもマレー系でイスラム教徒であるが,東部の人々はパプア人の特徴もかなり保有している。ビマ人は他の東部の人々よりも背が低く色黒で,東方のフロレス島やスンバ島の言語に似たビマ語を話す。一方,西スンバワ人は西隣のロンボク島のササク語に似たスンバワ語を話す。社会組織はやや父系に傾くが双系的で,世帯規模は核家族的である。この核家族が二つ三つといっしょになったような世帯はないし,世代を重ねた直系家族も生じていない。双系的な親族は権利義務集団を形成せず,結婚後の居住は夫婦単位の新居住形式をとっている。スンバワ社会はイスラム化が進み,他のインドネシア社会と同じく文化・政治・社会面でイスラムと伝統的な慣習法との間に明確な領域区分が成立しているものの,実際にはモスク(イスラムの礼拝堂)につとめる宗教指導者が結婚,離婚,相続などにも関与している。
執筆者:倉田 勇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
インドネシアの小スンダ列島中部にある島。面積1万3980平方キロメートル。島の西にはロンボク島が、東にはフロレス島がある。東西に細長い島で起伏に富み、海岸線はきわめて複雑である。北部には、1815年に大噴火をおこしたタンボラ火山(2851メートル)がそびえる。南東沖合いのスンバ島と同様ウマとビャクダンの産地として知られる。とくにウマは、ジャワ島の各都市の旅客用馬車に利用されるため盛んに飼育されている。土地は肥沃(ひよく)でトウモロコシ、綿花、タバコ、米を産する。中心地は東部のラバ。
[上野福男]
スンバワ島は人口106万4598人(1995)、スンバワ、ドンプ、ビマの3県からなり、西部にスンバワ人(約30万人)、東部にビマ人・ドンプ人(約50万人)が居住する。言語系統論上、スンバワ語は西部オーストロネシア語派バリ・ササク語群に、ビマ語は同語派ビマ・スンバ語群に属し、隣接地域ながら著しい対比をなす。王国形成は14世紀ごろにさかのぼるといわれ、ヒンドゥー教や仏教の影響を示す遺跡の存在も知られている。17世紀に入ると、ビマ国、スンバワ国は一時期、マカッサル人のゴワ王国(南スラウェシ)の勢力下に入り、そのもとでイスラム化した。これ以後はマカッサル文化の影響を受けつつ、オランダによる植民地化(1905)を経てインドネシア独立に至るまでスルタンによる統治が続いた。東部インドネシアではイスラムの影響が強い地域でもある。近年は、島外への出稼ぎ・移住者が多く、とくにサウジアラビア、マレーシアへ多くの女性労働者を送り出している。
[伊藤 眞]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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