チャペック(読み)ちゃぺっく(英語表記)Karel Čapek

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャペック」の意味・わかりやすい解説

チャペック
ちゃぺっく
Karel Čapek
(1890―1938)

チェコ劇作家、小説家。1月9日、地方の開業医の息子として生まれる。のちにプラハへ移住、パリ、ベルリンにも留学し、大学では哲学を専攻した。卒業後数年して新聞界に入り、1921年からプラハの『リドベー・ノビニ』紙の記者となり、以後死に至るまで多くの記事を執筆した。また劇の脚色や演出にも関係し、女優オルガ・シャインプフルゴバーと結婚。20代の中ごろから創作を開始し、画家で作家の兄ヨゼフ(1887―1945。ナチスの強制収容所で死亡)との共作戯曲『虫の生活から』(1921)などがあるが、劇『R・U・R(エルウーエル)』(1920)で一躍有名になり、新造語「ロボット」robotは世界中に流布した。この作品では、科学技術の発達が人間のエゴイズムと結び付くと、自然のもつ秩序が破壊され、ついには人類絶滅の危険さえあることが指摘されて、一種の予言的作品となっている。長編『絶対製造工場』(1922)、『クラカチト』(1924)などもこの系列に属するSFものである。

 彼は自ら深い共感を寄せていた「平凡な」人間をその諸作品の主人公とし、日常細事についての神秘的考察や推理を、ユーモア豊かに表現する能力をもっていた。推理短編集『ポケットから出た話』(1929)などはその一例であるが、より哲学的色彩の濃いものとしては長編三部作『ホルデュバル』(1933)、『流星』(1934)、『平凡な人生』(1934)がある。晩年にはナチスの台頭による危機感が高まったが、それを反映する二つの優れた劇が『白死病』(1937)、『母』(1938)である。そしてこのような各モチーフを結集した傑作は長編SF『山椒魚(さんしょううお)戦争』(1936)であろう。ほかにも小説、劇、童話『長い長いお医者さんの話』(1932)、イギリスやイタリアへの旅行記、評論集、親交のあった大統領マサリクとの対話集など多くの著書がある。とくにフェイェトン(新聞用小品)の数は多く、この点では有名な同国の小説家であり詩人ネルダにも劣らない。死後もいくつもの作品が編集、出版されている。1938年12月25日没。

飯島 周]

『『チャペック小説選集』全6巻(1995~97・成文社)』『『チャペック・エッセイ選集』全6巻(1996~97・恒文社)』『千野栄一著『ポケットのなかのチャペック』(1975・晶文社)』『イヴァン・クリーマ著、田才益夫訳『カレル・チャペック』(2003・青土社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャペック」の意味・わかりやすい解説

チャペック
Čapek, Karel

[生]1890.1.9. マレースバトニョビツェ
[没]1938.12.25. プラハ
チェコの小説家,劇作家。初期の作品は兄ヨゼフ Josef (1887~1945) と共作。20世紀の機械文明の発達と,人間,その生活,文化に興味をもち,小説,戯曲のほか,旅行記,エッセー,童話などに優れた作品を残し,今日まで最も人気のあるチェコ文学の代表的な作家となった。小説には SF風の『絶対子工場』Továrna na absolutno (1922) ,『クラカチット』Krakatit (1924) ,『山椒魚戦争』Válka s mloky (1936) のほか,後期の 3部作『ホルドゥバル』Hordubal (1933) ,『流れ星』Povětroň (1934) ,『平凡な人生』Obyčejnýživot (1934) がある。戯曲には「ロボット」の新造語を生んだ『ロボット(RUR)』R.U.R. (1920) ,ヨゼフと共作の『虫の生活』Zeživota hmyzu (1921) のほか,『白い疫病』Bílá nemoc (1937) ,『母』Matka (1938) などがある。

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