チェコ文学(読み)ちぇこぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チェコ文学」の意味・わかりやすい解説

チェコ文学
ちぇこぶんがく

主として古代スラブ語チェコ語で書かれた文学で、18世紀を境に古代チェコ文学と現代チェコ文学に分けられる。また、18世紀以後にスロバキア文学が別れた。

千野栄一

古代チェコ文学

チェコの地での最初の文献は、後の文献に反映されている口承文学を別にすれば、大モラビア国の時代にチェコにもたらされたキリロス(キリル、コンスタンティノス)とメトディオスによるグラゴル文字で書かれた文献で、860年代のものである。これは古代スラブ語で書かれ、そのほとんどが聖書を中心とするギリシア語からの翻訳で、その後『キリロス伝』『メトディオス伝』などのオリジナルな作品が出ている。この大モラビア国での古代スラブ語文学はプシェミスル朝時代にも継承され、そこでは「主よ、われらをいつくしみ給え」のような歌を残している。この後、教会と教養人の文語がラテン語となり、『コスマスの年代記』などが出現する。また、13世紀末からは古代チェコ文学がおこり、14世紀には古代チェコ文学の開花期を迎える。このころの作品には、『アレクサンドロス伝説』、作者未詳の詩による『ダリミルの年代記』、クラレットKlaret(1320ころ―1370ころ)作の『辞典』、詩による劇『膏薬(こうやく)売り』などがある。

 14世紀末から15世紀にはチェコ語によるチェコ文学と、ラテン語によるチェコ文学が競合してイデオロギーの武器となり、宗教改革者のヤン・フスの時代には『誰(たれ)ぞ神の兵士か』という軍歌や、『説話集』などの作品が生まれている。

 チェコ文学の確立に大きな功績を残したのはヤン・ブラホスラフJan Blahoslav(1523―1571)の『文法』と、ヤン・フスの流れをくむ新教の同胞教団の『クラリツェ聖書』であるが、この後、チェコ語の文学とラテン語の文学が並立し、前者の代表はヤン・アーモス・コメンスキーJan Amos Komenský(ラテン名コメニウスComenius、1592―1670)、後者の代表はボフスラフ・バルビーンBohuslav Balbín(1621―1688)である。

[千野栄一]

現代チェコ文学

1770年代からのチェコ文学はいわゆる民族復興の時代に入り、文献学者の活躍する時代を経て詩聖カレル・ヒネック・マーハの『マーイ(五月)』が出てくる。19世紀中ごろには国民文学の名の高い『おばあさん』で知られる作家ボジェナ・ニェムツォバーやフォークロア文学のカレル・ヤロミール・エルベンが輩出し、年報『マーイ』を中心に集まったマーイ派、雑誌『ルミール』に拠(よ)ったルミール派に属する数多くの文人が登場する。そのなかでは社会的詩人ヤン・ネルダ、詩人スバトプルク・チェフが有名で、一方ではカレル・バーツラフ・ライスKarel Václav Rais(1859―1926)らの自然主義散文作家も出てくる。

 1890年代から第一次世界大戦までのチェコ文学では歴史小説家のアロイスイラーセク、進歩的詩人S・K・ノイマン、批評家F・X・シャルダFrantišek Xaver Šalda(1867―1937)がとくに有名で、このあと両世界大戦間期の最盛期がくる。この時期の作家では国際的に有名なカレル・チャペックヤロスラフハシェク、ブラジスラフ・バンチュラ、詩人では1984年チェコ人としては初のノーベル文学賞を受賞したヤロスラフ・サイフェルト、ビーチェスラフ・ネズバルなどの活躍が目だつ。

 第二次世界大戦後の社会主義時代では詩人でブラジミール・ホラン、フランチシェク・フルビーン、小説家ではイワン・オルブラフト、ラジスラフ・フックスLadislav Fuks(1923―1994)らが出たが、やがて社会主義の偏向をとがめるミラン・クンデラ、ルドビーク・バツリークLudvíK Vaculík(1926―2015)、ボフミル・フラバルらが名作を発表する。このうちクンデラはやがてフランスへと出国を余儀なくされたが、その作品はチャペックとともに数多くの邦訳がある。1970年代にはフラバルとオタ・パベルが読まれ、またヨゼフ・シクボレッキーJosef Škvorecký(1924―2012)も読まれている。1989年のビロード革命(同年の共産党政権崩壊)以後にはカトリックの詩人や作家のものも再登場し、その代表は詩人ヤン・ザフラドニーチェクJan Zahradníček(1905―1960)、散文も書いたヤロスラフ・ドゥリフJaroslav Durych(1886―1962)である。またユダヤ系の作家が再評価され、リハルト・バイネルRichard Weiner(1884―1937)、アビグドル・ダガンAvigdor Dagan(ビクトル・フィシュルViktor Fischl、1912―2006)の作品も浮上してきており、ドイツ語で書かれたプラハの文学の研究も盛んである。

 1990年代にもっとも活躍したのはアビグドル・ダガンで、短編を中心に数多くの作品を発表、代表作には『宮廷の道化師たち』、短編集『エルサレムのカフカ』などがある。若手の作家にはミハル・ビーベグMichal Viewegh(1962― )、ヤーヒム・トポルJáchym Topol(1962― )などがいる。

 日本におけるチェコ文学の受容は第二次世界大戦が終わるまで、英語あるいはドイツ語を通して細々と行われていたにすぎず、それもチャペックの『R・U・R』(通称『ロボット』)や『虫の生活』などの劇作品、ハシェクの『善良なる兵士シュベイクの冒険』にほぼ限られていた。戦後もその傾向は続き、チャペックの童話『長い長いお医者さんの話』と園芸随筆『園芸家の12カ月』が好評を博している。

 1970年代からチェコ語からの翻訳がなされるようになり、とくに90年代には数多くのチャペック作品、それにクンデラのほぼ全作品が訳され、なかでもチャペックの愛犬随筆『ダーシェンカ』と、映画化されてもいるクンデラの『存在の耐えられない軽さ』は広く読者に受け入れられている。そのほかの作家の作品も次々と訳され始めており、パベルの『美しい鹿の死』などがその一例である。

[千野栄一]

『大竹国弘著『チェコスロバキアの民話』(1980・恒文社)』『オタ・パヴェル著、千野栄一訳『美しい鹿の死』(2000・紀伊國屋書店)』『伊東孝之ほか監修『東欧を知る事典』新版(2015・平凡社)』『カレル・チャペック著、伴田良輔訳『ダーシェンカ 愛蔵版』新装版(2020・青土社)』『ミラン・クンデラ著、千野栄一訳『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫)』『ミラン・クンデラ著、西永良成訳『冗談』(岩波文庫)』『カレル・チャペック著、千野栄一訳『ロボット(R・U・R)』(岩波文庫)』『カレル・チャペック著、中野好夫訳『長い長いお医者さんの話』(岩波少年少女文庫)』『カレル・チャペック著、小松太郎訳『園芸家12カ月』新装版(中公文庫)』『ヤロスラフ・ハシェク著、栗栖継訳『兵士シュヴェイクの冒険』全4巻(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェコ文学」の意味・わかりやすい解説

チェコ文学
チェコぶんがく
Czech literature

チェコ語で書かれた文学作品の総称。チェコを構成するボヘミアモラビアのチェコ語圏は,1918年にチェコスロバキアとして独立するまで,長い間ハプスブルク家の支配下にあった。このため,チェコにおける文学の発展は民族のアイデンティティ維持の努力と連動している。
チェコ文学の起源は,古期教会スラブ語に翻訳された聖書,典礼書などのキリスト教関係の文献である。古期教会スラブ語は 9世紀にフランク民族に対抗するため,キュリロスとメトディオスが考案したもので,チェコ語の特徴が認められる。現存するチェコ語で書かれた最古の文献は主として賛美歌で,13世紀末にボヘミアのプシェミスル朝の宮廷で書かれたものである。14世紀になると,チェコ文学の作品が次々と登場した。大半は韻文で書かれた聖人伝,伝説,叙事詩年代記騎士道物語の翻案であった。チェコ語最古の世俗文学は,叙事詩『アレキサンドレイス』で,ラテン語のアレクサンドロス3世(大王)伝説に基づいている。1350年頃から散文の分野も発達し始め,聖人伝,年代記,中世の人気物語を当世風に書いたものが中心であった。14世紀末には風刺詩,教訓詩が登場し,スミル・フラシュカが政治寓話『新しい忠告』を書き,王権に反対してボヘミア貴族の権利を擁護した。
15世紀初めにヤン・フスが始めた宗教改革を契機に,チェコの改革派やプロテスタントは,その後 2世紀にわたってカトリック支配に抵抗した。この時期の宗教論争と市民紛争によって,チェコ語は実際的な論争のことばとして育っていった。フス自身もチェコ語で力強い説教を書き,チェコ語正字法の改革にも貢献した。フスの弟子の一人ペトル・ヘルチッツキーは,急進的社会思想論文を書き,この論文から,その後 2世紀にわたってチェコ文学の重要な源となる,モラビア教会(→モラビア兄弟団)の一派であり原形であるボヘミア兄弟団が生まれた。16世紀のチェコ文学はルネサンスの人文主義(ヒューマニズム)を反映して説教と学問が中心であった。モラビアのヤン・ブラホスラフ主教は新約聖書の翻訳を完成させた。辞書編纂者ベレスラビーンのダニエル・アダムは人文主義時代のチェコ語の語彙をさらに豊かにした。この時代最大の成果は,『クラリツェの聖書』(1579~93)として知られるボヘミア兄弟団による聖書のチェコ語訳で,この聖書の言語は古典チェコ語の模範となった。1620年,ボヘミアのプロテスタントはハプスブルク家に敗北し,ボヘミアはハプスブルク家の直接支配下に置かれた。大部分がプロテスタントであるボヘミアの貴族は,チェコ語を知らない支配者のもとで迫害され,過去 2世紀の文学の伝統は政治亡命者の間だけで生き残った。これらの亡命者のうちの一人,ヤン・アーモス・コメニウスの『地上の迷宮と心の楽園』Labyrint světa a Ráj srdce(1623)は,チェコ文学における散文の最高傑作の一つである。しかし 18世紀になる頃には,チェコ語は文学には用いられなくなった。
18世紀末に現れた歴史主義と懐古主義は,多くのチェコの学者に母国の文学と歴史の研究を促した。さらに,女帝マリア・テレジアが治めるハプスブルク家の中央集権に反発して,ボヘミアの愛国精神が復活した。この二つの現象とロマン主義運動が結びついて,19世紀の前半にチェコ語文学復興運動が興った。同時に,社会と経済の発展により新しい中流階級が形成され,読者層が増大した。ヨゼフ・ドブロフスキーは復活したチェコの文語を研究,体系化し,ヨゼフ・ユングマンはジョン・ミルトンの『失楽園』Paradise Lost(1667)などの翻訳を通じてチェコ語の語彙の拡大と近代化に取り組んだ。モラビアの歴史家フランチシェク・パラツキーとスロバキアの考古学者パベル・ヨゼフ・シャファジークがこの復興をさらに進めた。チェコ語でも執筆したスロバキア人のヤン・コラールの寓意的なソネット『スラーバの娘』Slávy dceraは,復活したチェコ文学の最初の重要な作品である。また,過去のチェコ文学に対する関心は,中世初期のものというふれこみの優れた捏造写本の出現にもみられる。これらはバーツラフ・ハンカの作品で,ロマン主義の代表作として評価されている。チェコのロマン主義最大の詩人カレル・ヒネク・マーハ抒情詩,散文の断片,抒情的叙事詩からなる『五月(マーイ)』(1836)には,ジョージ・ゴートン・バイロン,ウォルター・スコット,ポーランドのロマン主義の影響がみられるが,詩的ビジョンの力強さと言語の完璧さでそれらの影響を超越している。1840年代にはロマン主義の視点に対する反発が起こった。政治ジャーナリストのカレル・ハブリーチェク・ボロフスキーと小説家のボジェナ・ニェムツォバーは現実的な問題を重視し,古典的な様式に基づいたチェコの散文を日常会話に近づけた。田舎の生活を理想化して描いたニェムツォバーの代表作『おばあさん』Babička(1855)における正確で写実的な描写と確固とした個性的な言語は,チェコの散文にとって新しいものであった。
マーハの叙事詩にちなんだ 19世紀後半の作家集団である五月派(マーヨベツ)は,独自の自由で実際的な民族主義を文学に盛り込もうとした。代表的な作家に,『小地区の物語』Povídky malostranské(1878)の冷笑的な描写で知られるヤン・ネルダがいる。そのほか,五月派の作家として小説家カロリナ・スビェトラーと詩人ビーチェスラフ・ハーレックが有名である。1870年代に入ると,二つの文芸雑誌『ルミール』と『ルフ』誌上で詩と小説が発展した。『ルミール』はチェコ文学をヨーロッパ化する必要性を強調し,一方の『ルフ』は土着の伝統とテーマの力強さを重視した。『ルミール』の中心人物は,チェコの文学史上最も多作な作家として知られるヤロスラフ・ブルフリッツキーで,彼は抒情詩に実に巧みに言語を用いたが,最高傑作は歴史的叙事詩のほうであるとされる。彼はまた多くのヨーロッパの主要作家の作品を翻訳した。『ルフ』の中心人物はスバトプルク・チェフで,歴史的叙事詩,田園詩,チェコの中流階級の俗物根性を標的にした散文による風刺を書いた。19世紀末のチェコの小説は,写実主義的傾向があり,代表的な作家は長編歴史小説で知られるアロイス・イラーセックである。19世紀の最後の 10年には,オトカル・ブジェジナ,ペトル・ベズルチの作品に詩の新傾向がみられた。
1918年にチェコスロバキア共和国が成立すると,チェコの文学は隆盛をきわめた。カレル・チャペックの理想的で風刺をこめた戯曲チェコ演劇を確立した。代表作はロボットという新語をもたらした『ロボット(RUR)』R.U.R.(1920),『虫の生活』Ze života hmyzu(1921)で,20世紀の中央集権化され,機械化された社会をテーマにしている。叙述文体の新しい頂点をきわめた代表的な作家にチャペック,ヤロスラフ・ハシェク,ブラジスラフ・バンチュラがいる。第1次世界大戦終結後まもなく,ハシェクは反戦小説『兵士シュベイクの冒険』Osudy dobrého vojáka Švejka za světové války(1921~23)の執筆を開始した。崩壊するオーストリア=ハンガリー帝国を舞台にしたこの作品は,今日も広く読まれている。チャペックの作品には SF短編小説も含まれる。1918年から 1945年の間は,ヨゼフ・ホラ,フランチシェク・ハラス,ビーチェスラフ・ネズバル,ヤロスラフ・サイフェルトの抒情詩が活況を呈した。
しかし社会主義体制となった第2次世界大戦後は,自由な文学活動が制限され,単調で制約の多い社会主義リアリズムに合致するものしか許可されず,その結果チェコの文学は衰退した。1960年代に政治統制がいくらか緩和されると,ヨゼフ・バーツラフ・シュクボレツキーとミラン・クンデラの小説,ボフミル・フラバルの短編小説,バーツラフ・ハベルの戯曲が国際的に注目を集め始めた。1968年のソビエト連邦の軍事介入(→チェコ事件)後,これらの作家の多くは国内で発禁処分とされたが,国外での評価は高まり続けた。亡命した作家のなかで,クンデラとシュクボレツキーは移住先の国で名声を得た。同時期に,大戦間のチェコの抒情詩の成果が遅まきながら国際的に評価され,この時代を代表する詩人サイフェルトは 1984年にノーベル文学賞を受賞した。1989年のビロード革命により社会主義体制が崩壊すると,これまで検閲され,弾圧されていた作品の出版が進められ,文学も新しい時代を迎えた。このなかには,チェコ文学でありながら,初めてチェコ語で出版されることになったものも含まれる。

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