デジタル大辞泉
「テニスコートの誓い」の意味・読み・例文・類語
テニスコート‐の‐ちかい〔‐ちかひ〕【テニスコートの誓い】
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精選版 日本国語大辞典
「テニスコートの誓い」の意味・読み・例文・類語
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テニスコートの誓い
テニスコートのちかい
Le serment du jeu de paume
「球戯場の誓い」とも訳される。 1789年6月 20日フランス国民議会議員の間でなされた誓いをいい,フランス革命の発端となった。ジュー・ド・ポーム jeu de paumeというのはラケットを用いないテニスともいうべき室内遊戯のこと。国王ルイ 16世の招集によって全国三部会は同年5月5日始ったが,議決方法をめぐって貴族,聖職者,第三身分の3身分間に紛争が起った。第三身分の代議員たちはみずからを国民の代表として身分制議会を否定し,6月 17日全国三部会の名称を改めて「国民議会」を結成した。これに対し国王は議場閉鎖を行うなど妨害工作に出たが,第三身分の代議員は6月 20日ベルサイユ宮殿の球戯場に集合して,王国の憲法制定まで解散しないと誓い合った。やがて貴族,聖職者の一部も参加して,7月9日国民議会は「憲法制定国民議会」と改称された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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百科事典マイペディア
「テニスコートの誓い」の意味・わかりやすい解説
テニスコートの誓い【テニスコートのちかい】
フランス革命初期,1789年6月20日,三部会の第三身分議員がベルサイユ宮殿に隣接する球戯場(テニスコート)に集まり,憲法制定まで解散しないことを誓い合った事件。国王ルイ16世が第三身分議員の活動を封じるため議場閉鎖を行ったのが原因。
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テニスコートの誓い(テニスコートのちかい)
Serment du Jeu de paume
1789年6月20日第三身分議員の活動阻止のため国王がとった議場閉鎖の措置に対し,第三身分議員は隣接の球戯場(テニスコート)に集まり,憲法制定まで解散しない決意を誓いあった。第三身分の団結を強め誇示した点で重要である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のテニスコートの誓いの言及
【国民議会】より
…第三身分の代表たちは,聖職者や貴族に合同を呼びかけるとともに,三部会という名称が身分の区別に基づくものであるからこれを改めようとし,みずからが国民全体の代表であるという意味で,国民議会という名称を採用することを6月17日に決定した。さらに彼らは,6月20日に室内球戯場に集まり,国民議会は憲法の制定まで解散しないことを誓ったので(テニスコートの誓い),やがて聖職身分の多数と貴族身分の一部も国民議会に合流するにいたり,結局,国王も3身分の合同を認めた。こうして,6月27日までのうちに,もとの全国三部会の代表者たちのすべてが国民議会に合同することになった。…
【フランス革命】より
…すなわち,貴族は3身分がそれぞれ別個に会議を開くことを主張したが,第三身分は3身分の合同と頭数制の議決とを要求していた。89年5月に全国三部会が開かれると,初めから議決方式をめぐる紛糾が生じ,第三身分の議員たちはみずから〈[国民議会]〉と名のり,憲法の制定までは解散しないことを誓った(テニスコートの誓い)。その固い決意をみて,国王もやむなく聖職者と貴族に国民議会への合流を命じ,全国三部会は89年7月に〈憲法制定国民議会〉という名称をとることになった。…
※「テニスコートの誓い」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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