ドイツの哲学者,社会学者。ベルリン生れ。父は裕福なユダヤ人の商人。ベルリン大学で歴史,民族心理学,哲学を修めたのち,23歳で哲学博士となる。27歳で同大学哲学部の私講師,42歳でようやく員外教授となるが,56歳でシュトラスブルク大学正教授に転ずるまでの間,恵まれない地位にとどまった。彼がユダヤ人であったこと,正教授ディルタイとの確執などが災いしたといわれる。
ジンメルは,一方でディルタイ,ベルグソンとともに〈生の哲学〉者として名高い。しかし他方〈形式社会学〉を提唱し,その礎石を造形して社会学の学問的自立に大きく貢献したことでも知られる。これら二つの要素はどう結びつくのか。ジンメルにおいては,〈生〉は人間存在の唯一究極的な原理(〈生の形而上学〉)であり,その本質は,一方で生が現前する自分自身を絶えず超えていくという〈生の自己超越性〉にあり,他方ではその生が自分に対立する〈形式〉をとおしてでなければみずからを表現することができないという〈生の自己疎外〉に求められる。カントよりもゲーテを評価するのも(《カントとゲーテ》1906),またベルグソンの進化論的な生のとらえ方を批判し,ヘーゲルの弁証法に強い関心を寄せたのも(《哲学の根本問題》1910),それぞれこのようなジンメルの〈生〉に関する理論に根ざしていた。創造的な生は,社会制度,芸術作品,科学的認識,技術といった文化形象,すなわち形式をつくりだす。一方で生それ自体はその形式を乗り越えていくが,しかし他方,形式はその母体たる生とは自律的な動きをもつ。ここにジンメルは〈文化の悲劇〉をみてとる。こうした文化形象(形式)が客観的独立性をもち,それが生を囲い込み,枠づける生活様式は,貨幣経済の完全な発達がみられる近代社会において頂点に達すると彼はいう。近代人は〈事物の文化〉に圧倒され,もはやそれを内面的に消化することができない。生の手段が生の目的となる。そこに,生と形式をめぐる完全な〈軸の転回〉が出現する(《貨幣の哲学》1900,《近代文化の葛藤》1918)。近代文化の将来に対するジンメルのまなざしはたしかに重く,かつ暗い。
人間の生は形式を通じて現前する。生の形式が問われる。生の発現する経験的な場は社会である。狭義の社会は,諸個人間の恒久的な〈心的相互作用〉それ自体であり,その〈社会〉化の諸形式,すなわち,競争,協調,模倣,位階秩序,分業,党派形成,代表などがその例とされる。これらの形式そのもののあらわれ方を研究するのが純粋社会学あるいは〈形式社会学〉と呼ばれるものであって,そこでは歴史的,社会的な具体的内容が捨象され,〈社会〉化の形式のみが問題とされる。現代社会学理論の有力なパラダイムである交換理論や闘争理論の祖型が,この形式社会学から生み出された(《社会学》1908)。この形式社会学を用いた経験的世界の分析が一般社会学であり,さらに社会の形而上学を扱うものが哲学的社会学にほかならない(《社会学の根本問題》1917)。
執筆者:稲上 毅
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ドイツの哲学者、社会学者。改宗したユダヤ人を両親として、ベルリンに生まれる。同地の大学で哲学、歴史、美術史、民族心理学などを学ぶ。1885年に教授資格を得るが、1901年ようやく員外教授に任命され、以後長くその地位にとどまった。またストラスブール大学に正教授の席を得たのは、同地で没するわずか4年前であり、不遇の研究生活を送った。
生の哲学者として、ニーチェ、ベルクソン、ディルタイらと並び称されるが、既存の主知主義的、理性主義的、機械論的世界観に対し、生きた生を生自身から了解しようと独自の生の形而上(けいじじょう)学を展開した。生は、流動する生と結晶体の生とを本質的に対等のものとして含む「より以上の生」Mehr-Lebenであり、またそのために「生より以上のもの」Mehr-als-Lebenであり、「超越の内在」Immanenz der Transzendenzを本質とする。芸術や歴史についての彼の多様な哲学的研究は、この根本見地に貫かれている。また相対主義的な立場から、社会化の形式の体系化を目ざす形式社会学の創始者となった。後期には神秘主義、ことにエックハルト、それに新ロマン派の影響があるといわれるが、それも含めて、彼の包括的研究は今後にまたなければならない。主著に『歴史哲学の諸問題』(1892)、『哲学の根本問題』(1910)、『人生観』(1918)がある。
[小田川方子]
『生松敬三・木田元他訳『ジンメル著作集』全12巻(1975~1981/新装復刊版・2004・白水社)』
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1858~1918
ドイツの哲学者,社会学者。生をその運動,発展,関係からとらえようとする生の哲学の重要な代表者で,この立場から宗教,社会学,哲学,倫理学,芸術などを論じた。形式社会学の祖として有名。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…個人主義においては,それは,個人が理性的存在である,もしくは個性的存在である,という認知である。そこでジンメルは,理性という普遍的な性能の保持者としての個人を尊重する量的個人主義と,ひとりひとりの個人がになっているかけがえのない個性を尊重する質的個人主義という,二つの類型を構成した。前者を啓蒙主義的個人主義,後者をロマン主義的個人主義と呼ぶこともできよう。…
…これらの接触をとおして互いに影響を与えあい,この相互作用が反復されることによって,互いの期待にこたえるように行動を規制しあっているとき,社会関係が成立しているという。社会関係に最初に着目したのはG.ジンメルである。彼は社会の過程的・機能的側面を重視して,個々の人間関係に現れる心理的作用の様式(心的相互作用seelische Wechselwirkung)を論じた。…
…文字どおりには,人と人とのつきあい,社会での交際,世間のつきあいを意味するが,社会学的な観点からは,社会を成り立たせる原点としてとらえられる。たとえば,社会学者のG.ジンメルは,諸個人間の相互作用によって集団や社会が生成される過程,すなわち社会形成過程(社会化Vergesellschaftung)に関して,その形式における純粋型を想定し,それに〈社交性Geselligkeit〉という概念を当てた。またG.ギュルビッチは,社会的現実を構成する要素として,〈社交性sociabilité〉,すなわち社会的交渉形態を考えた。…
…20世紀前半を代表する哲学の一分野で,実存の哲学の前段階を成す。理性を強調する合理主義の哲学に対し,知性のみならず情意的なものをも含む人間の本質,すなわち精神的な生に基づく哲学が〈生の哲学〉であり,ベルグソン,R.オイケン,ディルタイ,ジンメル,オルテガ・イ・ガセットなどを代表とする。その先駆は,18世紀の啓蒙主義に対してルソー,ハーマン,F.H.ヤコビ,ヘルダー,さらにはF.シュレーゲル,ノバーリスなどが感情,信仰,心情,人間性の尊重を,またメーヌ・ド・ビランやショーペンハウアー,ニーチェなどが意志の尊重を説いたことにさかのぼる。…
…いずれにせよ,すでに述べたように,危機が一過性のものであれば,それに応じて秘密結社も一過的に盛衰する。しかし,G.ジンメルがその《社会学》第5章〈秘密と秘密結社〉において指摘したように,たとえある秘密結社が現実の目的を達成して社会に公開されても(たとえば革命後のボリシェビキ),これとすれ違いにかつての中央権力が没落して秘密結社化するので,秘密そのものの存在は恒久的に存続する。
[入社式団体の特質]
このように政治史の文脈に沿って浮沈する政治的秘密結社に対して,入社式団体はむしろ精神史の文脈において消長を遂げる。…
※「ジンメル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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