デュプレクス(読み)でゅぷれくす(英語表記)Joseph François Dupleix

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュプレクス」の意味・わかりやすい解説

デュプレクス
Dupleix, Joseph François

[生]1697.1.1. ランドルシ
[没]1763.11.10. パリ
フランスの植民地政治家。若い頃からアメリカやインドに航海し,1721年ポンディシェリーで最高顧問官に任じられ,かたわら個人的な投機取引巨富を得た。 31年シャンデルナゴル商館長,42年フランスのインド総督となった。 40年にヨーロッパオーストリア継承戦争が始ると,南インドでもイギリスとフランスの抗争が激化し,それぞれ太守 (→ナワーブ ) と結び,勢力の拡大に努めた。3回にわたるカルナータカ戦争は第2期まで彼の活躍でフランスの優位のうちに展開したが,54年召還されるとフランスの勢力は急速に弱体化した。帰国後,失意と貧窮のうちに没した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュプレクス」の意味・わかりやすい解説

デュプレクス
でゅぷれくす
Joseph François Dupleix
(1697―1764)

フランス東インド会社のポンディシェリ(現、プドゥチェリ)所在最高参事会員、チャンデルナゴル商館長、インド総商館長(在任1741~1754)。オーストリア継承戦争に連動して起こった第一次カルナータカ戦争では、一時マドラス(現、チェンナイ)を占領してこの地域の覇権を確立した。カルナータカ(アルカート)のナワーブおよびハイデラバードニザームの両土侯家の継承紛争を発端とする第二次戦争では、両土侯家に親フランス派を育成して勢力拡大を図ったが、イギリスのクライブは親イギリス派をつくらせて対抗し、カルナータカを占領し、本国での宣伝工作によってデュプレクスを召喚させた。インド人傭兵(ようへい)の使用と土侯家の内紛への介入による征服の方法はこのときに始まった。

高畠 稔]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android