改訂新版 世界大百科事典 「トニオクレーガー」の意味・わかりやすい解説
トニオ・クレーガー
Tonio Kröger
1903年に発表されたトーマス・マンの短編小説。〈トニオ・クレーゲル〉とも呼ばれる。当初《文学》を仮題としていたこの作品で作者は,自身の少年時代の恋愛体験を題名の主人公に托して美しく哀愁をもこめて描いてはいるものの,重点は自身の文学のあるべき姿の追求にあり,〈人間愛〉を創作活動の基底に据えようとする主人公の決意は,作者自身の創作活動ばかりか,やがて激動を迎える時代のなかで作者の行動すべてを律するものになる。主人公は,芸術が人間的なものの否定の上に可能であると考えながらも,この芸術至上主義的芸術観を,生そのものを作品より優位に据える倫理観によって克服する。この相互否定的な芸術観と倫理観はともに主人公の,また作者の本質に根ざすもので,主人公と他の登場人物との関係に象徴される〈芸術家的なものと市民的なもの〉という対立は,内面的なものであり,したがって〈芸術家小説〉の限界を超えた普遍的人間の問題が提起されている。
執筆者:森川 俊夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報