ベントリー
Richard Bentley
生没年:1662-1742
イギリスの古典学者。18歳でケンブリッジ大学を卒業し,1691年友人が監修したマララスの校訂本に本文修訂のための《ミル宛書簡》を寄稿して学界で名を成した。翌年〈ボイル記念講演〉で合理主義の立場からキリスト教を擁護し,自然科学者ニュートンの知遇を得て以後親交を結んだ。97年には,フランス伝来の新旧論争に関連して,ファラリスの書簡集の真偽論争に巻き込まれ,偽作説を唱える《ファラリス書簡論》(増補1699)を発表したが一般の評価は彼に不利だった。1700年にはケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのマスターと成り,終生その地位を保った。学内行政に腕を振るうかたわらホラティウス(1711),テレンティウス(1726)ほか,ミルトン《失楽園》(1732),マニリウス(1739)の校訂版を公刊した。また,1697年に発表のカリマコスの断片の最初の本格的集成をはじめ,他の学者の校訂版への協力という形でも本文修訂の手腕を発揮して,アリストファネス,プラウトゥス,ルクレティウス等から碑文に至るまでの幅広い古典文献を手がけた。晩年は新約聖書の最古のテキストを復元しようと試み,また〈ディガンマ〉がホメロスの韻律に残存している事実に気づいて,この文字を復活させた《イーリアス》の校訂版を出そうとしたが,いずれも未完に終わった。彼の数多い修訂は,おもに韻律や言語についての精密な古典学的知識に基づく理性的なもので,ときに合理主義に行過ぎも見られるが,古今未曾有の大修訂家として評価されている。
執筆者:片山 英男
ベントリー
Arthur Fisher Bentley
生没年:1870-1957
政治過程論の先駆者として有名なアメリカの政治学者。イリノイ州出身。ジョンズ・ホプキンズ大学卒業後ドイツに留学,ジンメルなどに影響を受ける。1895年シカゴ大学社会学講師となり,のちジャーナリストとして活躍したが,1910年インディアナ州で自営業を営み,独自の研究生活に入る。イギリスの政治学者ウォーラスと並んで,現代政治学の基礎を築いたといわれている。彼は政治を,公的な政治機構内部で行われる立法と行政にではなく,広く社会における諸集団の相互作用に見ようとした。ここでは政治学の対象が拡大されるとともに,静的な政治制度よりも動的な政治過程が注目される。この視座が,のちの圧力団体,政党などの研究に受け継がれていく。イギリスの多元論も社会集団に注目したが,それが国家も一つの社会集団と考えるのに対して,ベントリーの主要関心は社会における諸集団の間の均衡であった。この点では,建国以来のアメリカの伝統的政治論につながっているといえる。主著に《政治過程The Process of Government》(1908)がある。
執筆者:岡村 忠夫
ベントリー
Wilson Alwyn Bentley
生没年:1865-1931
アメリカのアマチュア気象学者。バーモント州のジェリコに農民の子として生まれた。雪の結晶に魅せられ,農業に従事しながら19歳から死ぬまで雪の顕微鏡写真をとりつづけた。気象条件と雪の結晶の形の関連についての論文もある。死の直前,2453枚の雪の結晶の写真集《Snow Crystals》(1931)を出版した。
執筆者:高橋 浩一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ベントリー(Arthur Fisher Bentley)
べんとりー
Arthur Fisher Bentley
(1870―1957)
アメリカの政治学者、社会学者、論理学者、哲学者。ジョンズ・ホプキンズ大学で経済学と社会学を学び、卒業後ドイツに留学、ジンメル、グンプロビッチらの影響を受けた。母校で博士号を得たのち、1895年から1年間シカゴ大学の社会学講師となり、J・デューイを知り、生涯親交を続けた。1896年以降シカゴで新聞人となり、1910年以降インディアナ州の片田舎(いなか)で自営業につきながら研究と執筆を行った。主著『統治過程論』(1908)では、徹底した機能主義の見地で「集団間の圧迫と抵抗」を描き、圧力を通じての調整が政治過程であるとした。相対性原理から影響を受けた社会認識論は『人間と社会の相関性』 (1926)に示され、ほかにデューイとの共同作業による論文も数編ある。
[小林丈児 2015年10月20日]
『田口富久治著『社会集団の政治機能』(1969・未来社)』
ベントリー(Edmund Clerihew Bentley)
べんとりー
Edmund Clerihew Bentley
(1875―1956)
イギリスのジャーナリスト、ユーモア詩人、推理作家。ジャーナリストとして多才な執筆活動を続けるかたわら、政治風刺詩を『パンチ』誌などに寄稿し、人物名を頭に織り込んだ四行詩クレリヒュー(彼のセカンド・ネーム)を考案した。五行戯詩で有名なリメリックに比すべき詩の形体である。1913年、それまでの毒々しく通俗的な推理小説に対する軽い批判を込めて『トレント最後の事件』を発表し、近代推理小説の里程標となった。落ち着いて品よく、的確に人間の感情と性格が描写され、そのなかに推理小説の意外性が豊富に伏せられている。その23年後にもう一つの長編『トレント自身の推理』(1936)をハーバート・ワーナー・アレンHerbert Waner Allenと共作したが、そのほかは数少ない短編しか残されていない。
[梶 龍雄]
ベントリー(Wilson Alwyn Bentley)
べんとりー
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ベントリー
Bentley, Arthur Fisher
[生]1870.10.16. イリノイ,フリーポート
[没]1957.5.21. インディアナ,バオリ
アメリカの政治社会学者,哲学者。ジョンズ・ホプキンズ大学で経済学と社会学を専攻した。のち,1894~95年ドイツに留学し,G.ジンメル,R.イェーリングらの思想的影響を受けた。 95~96年シカゴ大学社会学講師をつとめ,J.デューイと交わった。その後 1910年までジャーナリスト。以後バオリに住んで自営業を営むかたわら研究生活。この間,24年の大統領選挙には,R.ラフォレットの支持者として政治活動にもかかわった。 41~42年コロンビア大学哲学客員教授。主著『政治過程論』 The Process of Government (1908) は政治学の関心の中心に初めて社会的集団 (圧力団体など) の行動をおくことによって,後年の政治学の制度論からの離脱を運命づけた。
ベントリー
Bentley, Richard
[生]1662.1.27. ヨークシャー,オールトン
[没]1742.7.14. ケンブリッジ
イギリスの古典学者。ケンブリッジ大学卒業。ジョン・ミルの要請によりマララス『年代記』の校本を調査,その報告書『ミルへの手紙』 Epistola ad Millium (1691) によって名をなした。 1699年には『ファラリス書簡集論』 Dissertation upon the Epistles of Phalarisを発表して,『ファラリス書簡集』が偽書であることを証明した。 1700年母校トリニティ・カレッジの学寮長。ホラチウスとマニリウスの作品の大胆な本文校訂 (1711,39) が最大の業績。
ベントリー
Bentley, Eric
[生]1916.9.14. ボールトン
イギリス生れのアメリカの劇評家,演出家。コロンビア大学教授。主著『思索家としての劇作家』 The Playwright as Thinker (1946) ,『バーナード・ショー』 Bernard Shaw (47) ,『演劇とは何か』 What Is Theatre? (56) ,『ドラマの生命』 The Life of the Drama (64) 。
ベントリー
Bentley, John Francis
[生]1839.1.30. ドンカスター
[没]1902.3.2.
イギリスの建築家。建築技術,施工を学び,1862年頃から公共建築の設計,ロンドン中心部や南部のクラファムなどで特に聖堂の内部デザイン,増改築に従事。1895年,ロンドンのウェストミンスター大聖堂の建築家に任じられ,イタリア・ビザンチン様式を取り入れた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ベントリー
米国の政治学者。在野で活躍。政治過程論を唱えて近代政治学の基礎を築いた。主著《政治過程》《人間と社会における相対性》。
→関連項目政治学
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ベントリー
生年月日:1870年10月16日
アメリカの政治社会学者,哲学者
1957年没
ベントリー
生年月日:1865年2月9日
アメリカの雪研究家
1931年没
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世界大百科事典(旧版)内のベントリーの言及
【圧力団体】より
…その後のアメリカにおける圧力団体の発展はますます目覚ましく,19世紀の30年代にアメリカを視察したトックビルが,〈世界中でアメリカにおけるほど,結社の原理が,多数の異なった目的に対して,成功的に用いられ,あるいは惜しみなく適用されてきた国はない〉(《アメリカの民主主義》1835‐40)と賛嘆したことは有名である。実際,pressure group(圧力団体)という用語自体も1920年代にアメリカで使用されはじめてから一般に広まったのであり,また圧力団体研究にしても,アメリカの政治学者A.F.ベントリーの《政治の過程The Process of Government:a Study of Social Pressure》(1908)に始まり,D.B.トルーマンの《政治過程The Governmental Process》(1951)を経て,現代政治学における主要研究分野の一つとして確立したのであった。このようなアメリカの政治学者の研究関心が,〈圧力下の民主政治〉とも評されるアメリカにおける圧力団体のとりわけ活発な活動とその強大な政治的影響力によって触発されてきたものであることは,いうまでもない。…
【政治学】より
…このようにして政治学の対象と方法は一挙に拡大し,政治学は狭義の政治現象だけではなく,多くの分野へと分化しながらもあらゆる人間事象を考察の対象に入れざるをえない総合科学への道をたどりはじめたのである。 19世紀末から20世紀前半へかけてのこのような政治学の転換は,各国民主政治の慣行を比較研究したJ.ブライス,大衆の政治行動の非合理性を把握することを説いたG.ウォーラス,政治を過程としてみることをはじめたA.F.ベントリー,政治においてつねに変わらぬ支配エリートを研究したG.モスカ,大衆組織における寡頭支配の鉄則を指摘したR.ミヘルス,世論がステレオ・タイプによって支配されていることを分析したW.リップマンなどの業績に典型的に示されている。これらの政治研究者たちに共通に分けもたれていたのは,政治学を経験的・実証的な学問として自立させたいという強い志向だった。…
【政治過程】より
…他方,20世紀を迎えて大衆化と組織化が進行するに従い,〈集団の噴出〉現象がはじまり,政治の世界は,個人を単位とした19世紀的な諸制度も,また階級対立しか視野に入れないマルクス主義的な構造論も処理しきれない,多元的な利益集団間の相互交渉の過程として把握するのが実態に即しているという考えが強まった。 このようにして,[A.F.ベントリー]の《統治の過程》(1908)にはじまり,トルーマンDavid B.Truman《統治過程論》(1951)にいたる政治過程論に立つ多くの著作が生み出された。その多くは,トルーマンに典型的に見られるように,こういう利益集団の相互交渉がやがては均衡に達して,新たな多元的集団の民主主義が生まれるというアメリカ的体制の擁護論を内包していたために,支配階級論に立つマルクス主義政治学との間に激しい論争がしばしば行われた。…
※「ベントリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」