トルーマンドクトリン(英語表記)Truman Doctrine

デジタル大辞泉 「トルーマンドクトリン」の意味・読み・例文・類語

トルーマン‐ドクトリン(Truman Doctrine)

1947年、トルーマン議会で発表した外交方針。ギリシャトルコ両国への軍事・経済援助を議会に要請し、世界的規模での反ソ反共政策を提唱。その主張マーシャルプラン北大西洋条約機構NATO)などに受け継がれた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「トルーマンドクトリン」の意味・読み・例文・類語

トルーマン‐ドクトリン

  1. ( [英語] Truman Doctrine ) 一九四七年三月、アメリカ大統領トルーマンが表明した新外交政策ギリシア・トルコへの軍事援助費四億ドルを議会に承認させ、伝統的なモンロー主義をすてて反共的世界政策に踏みきった。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「トルーマンドクトリン」の意味・わかりやすい解説

トルーマン・ドクトリン
Truman Doctrine

1947年3月12日の議会での演説で表明されたアメリカ大統領トルーマンの対外政策の一般原則。彼は〈合衆国の外交政策の主要目的の一つは,われわれ自身および他の諸国民が圧政に脅かされることなく生活を営むことができる状態の創造にある〉と述べ,全体主義体制の脅威から守るために,イギリスに代わってギリシア,トルコへの4億ドルの経済・軍事援助の必要を説いた(5月22日ギリシア・トルコ援助法が成立)。これは東地中海地域の共産主義化を防ぐためのものであった。この自由主義対共産主義という世界情勢の二元的把握は,連邦職員忠誠審査行政命令(1947年3月21日公布,忠誠審査制度)と相まって,国民の間に冷戦的雰囲気を助長することとなった。さらにこの政策は,マーシャル・プランNATOへと発展した。
冷戦
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「トルーマンドクトリン」の意味・わかりやすい解説

トルーマン・ドクトリン

1947年トルーマン米国大統領が表明した外交政策。全体主義膨張に対する防衛名目に,英国に代わってギリシア,トルコに対する経済援助を議会に要請。これは実際には東地中海地域の共産主義化を防ぐためのものであった。引き続きマーシャル・プラン設定やNATO創設を推進し,いわゆる冷戦を展開した。
→関連項目東欧革命フェア・ディール

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トルーマンドクトリン」の意味・わかりやすい解説

トルーマン・ドクトリン
Truman Doctrine

1947年3月アメリカの H.トルーマン大統領が打出した反共対外援助政策。アメリカの大統領が公式に東西冷戦の存在を認め,対決の決意を表明した戦後初めての対外政策である。 46年頃よりギリシアの内戦が激化し,トルコの情勢も微妙だったが,イギリスは財政上の困難から援助の継続が不可能となり,その旨アメリカに通告した。そこで 47年3月 12日トルーマンはイギリスに代りギリシア,トルコに援助する立法措置を議会に要請,さらに全世界的規模での反共封じ込め政策 (→コンテインメント ) の必要を強調した。同年5月議会はギリシアに3億ドルの軍事・経済援助を,トルコに1億ドルの軍事援助を与える法案を可決し,両国に軍事顧問を派遣する権限を大統領に与えた。その後 48年のマーシャル・プラン,49年の北大西洋条約機構 NATOの設立などソ連圏諸国を包囲する西側の軍事同盟網が拡充され,両陣営の対立は激化した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「トルーマンドクトリン」の解説

トルーマン・ドクトリン
Truman Doctrine

1947年3月12日にアメリカのトルーマン大統領が上下両院合同会議での演説で表明した外交方針。彼はここでトルコとギリシアへの4億ドルの経済・軍事援助を正当化するにあたり,世界は全体主義自由主義の二つの世界に分かれているといい,前者の脅威に対して後者を支援することがアメリカの政策でなければならないと主張した。冷戦の開始を告げた演説であった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「トルーマンドクトリン」の解説

トルーマン−ドクトリン
Truman Doctrine

1947年3月,アメリカのトルーマン大統領が共産主義の侵略のおそれのある国々(当初はトルコとギリシア)を援助することを宣言した外交方針
従来の孤立主義を放棄し,世界秩序に対するアメリカの責任を表明するとともに,のちのマーシャル−プラン・北大西洋条約機構(NATO)のように,外国に対する経済・軍事援助への道を開いたもの。対ソ「封じ込め」の開始,冷戦への宣戦布告としてとらえられた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトルーマンドクトリンの言及

【トルーマン】より

…ポツダム会談,国際連合の創設,広島と長崎への原爆の投下,日独戦犯の裁判など第2次世界大戦の終結と戦後処理に指導的役割を果たした。戦後はソ連との対決姿勢を強め,47年に〈トルーマン・ドクトリン〉を発表したのをはじめ,48年ソ連のベルリン封鎖に対抗して空輸作戦を指令,49年北大西洋条約機構(NATO)を結成するなど,〈冷戦〉外交を展開し,さらに50年朝鮮戦争にあたって韓国援助のため派兵を決定した。48年の大統領選には彼の政策に対する批判から民主党内が3派に分裂する中で一般の予想をくつがえして勝利をおさめ,内政面ではニューディールを継承・拡大する〈フェアディール〉政策を提唱した。…

【冷戦】より

…たとえば,アメリカは東側ブロックを〈多数の上に強制された少数の意志を基礎としている。それは恐怖と弾圧,新聞・ラジオの検閲,定められた選挙,そして個人の自由の抑圧に依存している〉(1947年3月,トルーマン・ドクトリン)体制であるとし,ソ連は西側陣営を〈帝国主義・反民主主義陣営で,アメリカ帝国主義の世界制覇と民主主義の破壊とを基本目的としている〉(1947年9月,コミンフォルム宣言)体制であると批判した。 イデオロギー対立は,確かにこの時代に限られたものではない。…

※「トルーマンドクトリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android