ノルデンシェルド(読み)のるでんしぇるど(英語表記)Baron Nils Adolf Erik Nordenskiöld

デジタル大辞泉 「ノルデンシェルド」の意味・読み・例文・類語

ノルデンシェルド(Nils Adolf Erik Nordenskjöld)

[1832~1901]スウェーデン鉱物学者・探検家フィンランド生まれ。スピッツベルゲングリーンランドエニセイ河口を探検し、地質を調査。1878~1880年、欧亜大陸北方を回航する北東航路を開き、途次に横浜に寄航。

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精選版 日本国語大辞典 「ノルデンシェルド」の意味・読み・例文・類語

ノルデンシェルド

  1. ( Baron Nils Adolf Erik Nordenskjöld バロン=ニールス=アドルフ=エリク━ ) フィンランド生まれのスウェーデンの北極探検家。スピッツベルゲン・西グリーンランドを探検、地質の研究を行なう。一八七八年から八〇年にかけて、ベーリング海峡を抜けて、インド洋スエズ運河を通る「北東航路」を開いた。(一八三二‐一九〇一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノルデンシェルド」の意味・わかりやすい解説

ノルデンシェルド(Baron Nils Adolf Erik Nordenskiöld)
のるでんしぇるど
Baron Nils Adolf Erik Nordenskiöld
(1832―1901)

スウェーデンの北極探検家、「北東航路」の啓開者。フィンランドのヘルシンキに生まれる。1857年ヘルシンキ大学を卒業。翌年政治上の理由でスウェーデンのストックホルムに移る。1858年スウェーデン王立博物館の教授、鉱物学部長となる。1858~1883年、数次にわたりスピッツベルゲン、グリーンランドを探検し、地理・地質学上で大きな成果を得た。1875~1876年にはカラ海からエニセイ河口を探検している。1878年6月ベガ号でカールスクローナを出発、トロムゼー、チェリュスキン岬を経て9月末ベーリング海峡近くのコリュチン湾で氷海に閉じ込められた。しかし翌1879年(明治12)脱出し、9月横浜に到着、長い間航海者の夢であった北東航路の啓開に成功した。日本では東京地学協会主催の盛大な歓迎会が開催された。一行は2か月にわたり日本に滞在、文物を調査・研究し、和書6000冊、化石などを購入・採集した。この和書はストックホルムの王立図書館に保管され、1970年代末にこれの完全な目録『ノルデンシェルド・コレクション・カタログ』が英文で完成、当時の日本の文物を知る貴重な資料となっている。

 1880年4月帰国、男爵に叙せられ、1893年にはスウェーデン科学学士院会員に選ばれた。論文・著書は、地質学、鉱物学、地理学地図学分野で178編にも達する。おもなものに北東航路航海の報告ほか古地図、航海指針を収集・編纂(へんさん)した『Periplus』(1892)、『Facsimile-atlas』(1889)がある。

[半澤正男]


ノルデンシェルド(Nils Erland Herbert Nordenskiöld)
のるでんしぇるど
Nils Erland Herbert Nordenskiöld
(1877―1932)

スウェーデンの民族学者。探検家アドルフ・ノルデンシェルドの子。動物学を専攻したのち、南アメリカの各地で考古学・人類学研究を行った。主著『比較民族誌研究』10巻(1918~1938)では、グラン・チャコ地域のインディオやクナ人など南米諸民族の文化パターンを、おもに環境と諸地域間の文化伝播(でんぱ)による要因から検討した。スペイン語、ポルトガル語の記録と彼自身の発掘資料と現地調査の結果から南米諸民族の物質文化、借用語などの文化要素を分析し、それらの地理的分布をドットで表示する方法を開拓し、文化の歴史的伝播関係の再構成を目ざした。オセアニア地域から南米大陸への伝播説を退け、伝播地域を過度に拡大してとらえてゆくドイツ・オーストリア学派の文化圏説に対しては批判的であった。

[宮坂敬造 2018年12月13日]

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改訂新版 世界大百科事典 「ノルデンシェルド」の意味・わかりやすい解説

ノルデンシェルド
Nils Adolf Erik Nordenskiöld
生没年:1832-1901

スウェーデンの北極探検家,地理学者。フィンランドのヘルシンキに生まれ,ヘルシンキ大学で地質学を学ぶ。1858年スウェーデン王立博物館鉱物部長に就任,58-73年5回のスバールバル諸島方面調査に行き,1868年にはソフィア号で当時未到の北緯81°42′まで達した。78年ベガ号でノルウェーのトロムセー港を出発,シベリアの北岸沿いに航行,ベーリング海峡付近の氷海で越冬して太平洋に出,初めて北東航路を開いた。その帰途79年(明治12)9月2日横浜に着き,日本で大歓迎を受け,各地を訪問,自然や民俗の観察を行い,化石や日本書籍を収集した。10月27日に長崎を出帆,スエズ運河を通って80年に帰国,男爵を授けられた。1870,83年にはグリーンランドの調査もしている。晩年は古地図の研究に没頭した。なお持ち帰った約6000点に及ぶ日本書籍は,ストックホルムの王立図書館に所蔵されている。
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百科事典マイペディア 「ノルデンシェルド」の意味・わかりやすい解説

ノルデンシェルド

スウェーデンの探検家,地理学者。男爵。名はニルス・アドルフ・エリック。北極海のスバールバル諸島を数度探検。北東航路を開こうと志し,1878年ベガ号で出発,1879年にはベーリング海に入り,日本,中国を経て1880年帰国した。古地図の研究でも著名。その子のニルス・エルラント・ヘルベルト〔1877-1932〕は民族学者で,南米を探査,1914年からイェーテボリ大学教授。甥のオットー〔1869-1928〕も地理学者で,パタゴニア,アラスカ等を探検,1901年―1903年スウェーデン南極探検隊長。1905年からイェーテボリ大学教授。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ノルデンシェルド」の解説

ノルデンシェルド Nordenskiöld, Nils Adolf Erik

1832-1901 スウェーデンの地理学者。
1832年11月18日フィンランドのヘルシンキ生まれ。1860年スウェーデンに帰化。1878年ベガ号で北極海探検に出発して北方航路を開発。その帰途の明治12年(1879)横浜に来港し,約2ヵ月の滞在中,化石や書籍など日本に関する資料を収集した。1901年8月12日死去。68歳。ヘルシンキ大卒。

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世界大百科事典(旧版)内のノルデンシェルドの言及

【北極】より

…その勢力はアラスカに伸び,19世紀の初めには露米会社の設立をみたが,1867年アメリカがアラスカを購入した。 16世紀の半ばから試みられた北東航路の通過に成功したのはスウェーデンのN.A.E.ノルデンシェルドである。1878年7月21日,ノルウェーの北部にあるトロムセーを出発したベガ号は各国の隊員30名を乗せ,種々の調査を行ってベーリング海峡に近づいたが,氷に閉ざされ翌年7月まで越冬した。…

※「ノルデンシェルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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